笹ヶ峰ヒュッテの沿革

昭和天皇が1926年に即位された。
その御大典を記念する事業の一つとして計画されたヒュッテ建設である。
京都帝国大学旅行部(現在の京都大学山岳部の前身)が、御大典に際し学友会記念事業の一つとしてヒュッテ建設を提案した。
総工費4500円、うち2500円は旅行部が後援会をつくって寄付を集めた。
のこり2000円は学友会から支出した。
京都帝国大学新聞の記事によると、1928年(昭和3年)11月12日に竣工した。
京都帝国大学旅行部とそのOBが管理していた。
北海道大学のヘルベチアヒュッテの完成がほぼ同じころで1927年(昭和2年)である。
秩父宮殿下が槇有恒らと、マッターホルン登頂が1926年、小槍の登攀が1927年だ。
当時、ヨーロッパ流の山小屋が建設される機運が盛り上がっていたのだろう。
ヒュッテの当初名義は高橋健治(1903-1947)、その没後はローゼ夫人名義で新潟県杉野沢村に登録されていた。
1948年に京都大学山岳部は笹ケ峰ヒュッテに修理を加えて学内に開放した。
その宿泊費を貯蓄して維持・管理費の一部とするためである。
なお、京都大学からの支援を得るために、 1952年に木原均京都大学学士山岳会長がヒュッテを京都大学に移管した。
その後、1999年に田中二郎京都大学山岳部長のもと全面的な改築がおこなわれ11月6日に完工した。
京都大学総長・長尾真から感謝状が贈呈された。

1928
草創

京都帝国大学旅行部のクラブ・ヒュッテ建設が計画され、 故・高橋健治氏(1903~1947)をはじめとする旅行部OB諸氏および地元杉野沢の方々の尽力により、 1928年11月12日に竣工する。

1928年11月12日 竣工

『京都帝国大学新聞』昭和三年十二月一日より

スキー季節近づく、日本一のモダーン山小屋、学友会御大典記念事業の笹が峰ヒュッテ竣成、期待される旅行部の大活躍

既報の如く本学旅行部が御大典として計画した越後笹ヶ峰のヒュッテは先月十二日竣工して以来、信濃電気会社の非常なる後援と請負飛嶋組の熱心により予定より早く去る十六日に竣成したので、十八日旅行部員と伊藤先輩とが同地に出張し飛嶋組の手から受渡しを完了した、之が設計に当たっては外国の設計図は勿論日本に於て今日迄設けられて居る各種の設計を参考にし、種々苦心をしたさうで、完成された笹ヶ峰のヒュッテは實に日本一のモダーン式であるといふ、宿舎は二階建で一時に三十余名の合宿が出来、水道は二百間余り一インチ半の鉄管で導き地中深く埋めてあるので厳寒の候と雖も断水の憂ひは全然ない、電燈は信濃電気会社が特に架設してくれたので室内ストーブ(薪使用)の外に各寝室には電熱コタツを用いて居る、夜具は毛布五十枚を用意し、風呂、電話、写真暗室等の設備もあって、「日本一のモダーンヒュッテ」の名に恥ない、因に来春一月中、下旬頃には秩父宮殿下の行啓を仰ぐ事になるかも知れないさうである。

1947

ヒュッテ建設に際し、資材の調達など 中心になって奔走した高橋健治氏が逝去。それまで高橋健治氏名義だったヒュッテの名義が、 高橋健治氏の妻・ローゼ夫人氏名義となる

1948

京都大学山岳部は笹ケ峰ヒュッテに修理を加えて学内に開放する。その宿泊費を貯蓄して維持・管理費の一部とするように。

1952

ローゼ夫人の名義で新潟県杉野沢村に登録されていたヒュッテが、木原均京都大学学士山岳会会長より京都大学に寄贈される。

1956 修理

秋に主として床下回り(床下柱、根太)の補修。畳の張り替え、窓枠修理等を学生部より修理費約五万円をもらって行った。

1965 修理

1964年夏、柱がゆがんで二階の根太がはずれ落ち、宿泊者が外部に避難する事態がおこった。これに対し、1965年8月25日から10月14日にかけて学生部により総費用75万円の修復工事が行われた。施設部指定工事要項によれば、補強工事及び建物査み直し、在来便所及び部員室の一部取り除き、便所の新設、炊事場の模様替え、薪小屋の模様替え、窓新設取設け、破損建具の補修、給水工事である。このとき補強工事として十ケ所の控え柱が敷設された。また、山岳部はOBより寄付を募り、 237,700円でもって、屋根葺き替え、畳入れ換え、ストーブ入れ換え、寝袋購入等を行った。工事前の調査より、薪置き場、便所など付属建物への積雪により、主建造物に査みが生じていることが判明した。

1978 修理

東側屋根、下半分の大部分が雪によりはずれてしまった。学生部により入札が行われ杉野沢竹内工務店が80万円弱で請け負った。

1995 修理

入り口小屋根の修理、煙突修理、外側にある炊事用流しの修理。修理費18万円。山岳部より支出。

1995.09. 建物調査を行い、問題点が報告される

基礎および土台
土台や一階床下躯体の腐朽は他の部位よりも早く進むことがこれまでの修理歴からうかがえる。その理由は床下の湿潤によるもので、周辺が豪雪地帯であり...
耐雪性
積雪により建物に作用する荷重は、屋根に直接作用する鉛直荷重、基礎から一階外壁側面に作用する側圧、屋根上の積雪と地盤上の積雪が一体化し、その後の...
床面積の不足
厨房・暖房用薪小屋の増設、別棟便所の設置などにより必要な面積を確保するための努力を行っているが、絶対的な収納スペースの不足などの建築計画上の...
附設備関係の不備
電気設備、通信設備などが完備されておらず、これまでは夜間の照明は灯油ランプに頼り、緊急時の通信手段が確保されていない状態で、かねてから火災の...
全文表示

1999
1999 京都大学笹ヶ峰ヒュッテ改築委員会が発足する

委員長
田中二郎 (京都大学山岳部部長)

顧問
中島暢太郎(元京都大学山岳部部長)、左右田健次(元京都大学山岳部部長) 、岩坪五郎(前京都大学山岳部部長)、沖津文雄(1955、京都大学探検部OB会会長)、 上尾庄一郎(1956、社団法人京都大学学士山岳会会長)

委員
笹谷哲也(1957)、原剛(1964)、横山宏太郎(1964)、秋田雅規(1972)、 吹田啓一郎 (1978)、伊藤宏範(1979)、山田和人(1979)、竹田晋也(1980)、 植田英輔(1988)、瀬崎夏志(1995)、木村泰久(1996)

関係団体
京都大学体育会山岳部
京都大学山岳部出身者連絡会(通称 笹ケ峰会)
京都大学探検部OB会
社団法人京都大学学士山岳会

1999.01.30 笹ケ峰ヒュッテ改築募金世話人会がひらかれる

ヒュッテ改築にかかわるこれまでの経過説明と、現時点での改築案について、吹田から説明がありました。改築案の具体的な内容については、改築委員会で現在検討中で、今後も世話人会を通じてなるべく多くの意見を取り入れて行きたいと思います。募金が順調に進めば、改築内容への注文も実現しやすくなります。逆に募金の額によっては、改築内容も制限されるので、改築内容の検討と募金は同時に進めざるを得ません。

*)土地問題については、近日中に京都大学学生部が妙高高原町役場に出向き、確認する予定です。
*)改築を機会に、水源の位置も見直し、年間を通じてより確実に水を確保できるようにします。水源の現状については、原委員がすでに調査を行いました。
*)現在、山岳部は部員少数で、ヒュッテの維持管理が負担になっています。改築と当時に、運営管理の方法を検討する必要があります。
*)斎藤惇生・廣瀬幸治両氏に三高山岳部OBへの連絡とりまとめ役をお願いすることになりました。
* )募金の手順 事務局より募金案内状と寄付申込み書を全員に郵送します。世話人の方には、当該回生の募金金額の確認をしていただき,同時に建物に対する意見もまとめていただき、2月末をめどに、募金金額と建物に関する意見を集約し、事務局へ報告していただくようお願いいたします。

1999.02.22 改築のための募金を募る

笹ヶ峰ヒュッテ改築のための募金のお願い
昨年末,ご案内いたしましたとおり,京都大学山岳部歴代部長・副部長,笹ケ峰会有志らが集い,老朽著しい笹ケ峰ヒュッテの改築の準備を進めてまいりました.笹ケ峰ヒュッテ改築委員会を設立して、改築基本計画の作成,京都大学等関係機関への説明などの具体的な作業の中心となって活動してきました.本年はいよいよ着工,完成を目指して本格的な活動を行う予定でありますが,この改築計画で何よりも重要なのは改築資金の調達であります...
募金要項
1. 期間 1999年3月1日より1999年12月31日まで
2. 振り込み先口座 ...
募金世話人
斎藤惇生(1949)、平井一正 (1950)、青野敏幸(1951)、左右田健次(1952)、高村奉樹(1953)、岩坪五郎(1954)、松浦祥次郎(1954)、沖津文雄(1955)、竹内通雄(1955)、上尾庄一郎(1956)、笹谷哲也(1957)、野村高史(1958)、田中二郎(1959)....
全文表示

1999.03.06 ヒュッテ仕様決定会議がひらかれる
場所:AACK文献センター
参加者: 田中二郎,上尾庄一郎,笹谷哲也,原剛,秋田雅規,吹田啓一郎, 伊藤宏範,植田英輔,瀬崎夏志...
議事録
(1)工事請負業者選定・見積り...
全文表示
1999.03.12 役場を訪問

学生課長、 課外体育担当専門職員 が役場を訪問し、岡山紘一郎町長に面会する。

ヒュッテの改築に、町としてはなにも問題がない。 京大ヒュッテが存続することは町としても望ましい。

募金について

本年二月二十ニ日付け趣意書と募金のお願いに対し、現在三八二名の方々から募金申し込みをいただき、うち三五三名からすでに送金をしていただきました。 当初の募金目標傾三千万円をクリアーしましたので、みなさまのご期待に背かないできるだけ充実した京大ヒュッテの再建をめざして、現在、改築委員会と施工業者一体となって建設に取り組んでおります。
(AACKニュースレターNo.14を抜粋)

1999.07.03 旧ヒュッテ解体

雨のなか、朝から解体工事および整地が行われました。

1999.07.04 地鎮祭および起工式が行われました

曇り時々晴れとまずまずの天候のなか、地鎖祭が行われました。参加者は上尾庄一郎会長、田中二郎山岳部長(改築委員長)、笹谷哲也、原田道雄、小澤良夫、原剛、秋田雅規、杉山茂、横山広太郎の各氏、設計者の中津敏明氏、杉野沢の竹田克巳さん・マサエさんご夫妻、中電産業から増田和生氏(OB)ほか約10名が参加しました。
神主さんの祝詞、お献いがあり、出席者は玉串を捧げ、工事の安全と無事完成を祈りました。 次いで鍬入れ式となり、中津氏が鎌、田中部長が鍬、増田氏が鋤をふるって、工事が開始されました。十一時十分、地鎖祭は滞りなく終了し、神主さんの音頭で参加者全員祝杯をあげました。

1999年夏 新ヒュッテ、ただいま建築中

東面全景,作業がほぼ終了した状態です

1999年夏 新ヒュッテ、ただいま建築中

南東側2~3階木造部。 2階ホールやテラスから南への眺望が 期待される。また3階寝室も南側には 小部屋があって同じ眺望を得られる

1999.09.10 上棟式がとりおこなわれました


この日は早朝から木造部分の軸組がなされ、われわれが現地到着した午後3時半に は、屋根の骨組みまですっかり建ち上がっていて、その堂々たるたたずまいに感激しました。
工事の安全を祈願する神事を終えてから、午後6時妙高温泉のホテルグリーンライフ 妙高において、直会(酒宴)が催され、歓談しました。


南面2~3階木造部
正面の大きな開口部には大ガラス窓が入り、広い眺望を楽しめる予定です
1999年初秋 笹ヶ峰ヒュッテ、ただいま建築中
1999.10.08 笹ヶ峰ヒュッテ、ただいま建築中

煙突がつきました。
内外装が始まっています。
相当大きくなったように見えます。
大きなバルコニーが出現しました。

1999.10.27 お蔭様で

ヒュッテの工事はお蔭様で順調に進んでおります。懸命の作業が続いています。

1999年 秋 順調に進んでおります

ヒュッテの工事はお蔭様で順調に進んでおります。笹ヶ峰の紅葉はやっと始まったばかりです。


京都大学より贈られた感謝状(クリックすると拡大してご覧いただけます)

1999.11.06

新笹ヶ峰ヒュッテ完工

皆様のご協力のおかげで、新笹ヶ峰ヒュッテが無事完成しました。 本当に有難うございました。

笹ヶ峰ヒュッテの完工式ならびに祝賀会
完工式(司会 吹田啓一郎)
開会の辞
祝 辞
  京都大学副学長 宮崎 昭
  妙高高原町町長 岡山紘一郎(代理 竹田清助役)
感謝状贈呈
  京都大学総長 長尾真から改築委員会へ
  (代理で宮崎副学長から田中山岳部長へ)
挨 拶
  笹ケ峰ヒュッテ改築委員会・山岳部部長 田中二郎 閉会の辞


祝賀会 (司会 吹田啓一郎)
開会の辞
挨 拶
  笹ケ峰会を代表して 上尾庄一郎
  笹ケ峰会 平井一正
  改築実行委員会 小澤良夫
乾杯 近藤良夫
(歓談)
雪山賛歌 中島道郎
閉会の辞

ヒュッテの前途を祝福するがごとき素晴らしい好天に恵まれ、ヒュッテは満員となり、歓談、合唱は深夜に及んだ

玄関を入ると目の前に笹ヶ峰が広がる
ヒュッテの遠景と焼。2.3階からの眺望がすばらしい

竣工式は晴天に恵まれ、屋外で行われた
京大より感謝状が贈られた
完成までの経過を説明する田中二郎山岳部長

完成までの経過を説明する田中二郎山岳部長
工事を推進された小沢良夫氏の説明
宴は日没まで続き、最後に雪山賛歌の大合唱で終わった

写真提供:田中二郎氏

2000.07.21

ヒュッテに新しい看板がつきました。 書道家、鈴木啓義氏による揮毫ならびに彫刻です。