第五回 岡山の山を登ろう会 2001

 

 かって今西錦司先生は、岡山大の後輩をそそのかし、岡山の山々を共に登って居られた。そして、未だいくつか登り残したままあの世に旅立たれてしまわれた。当時、岡山大教授として在籍し、世話役を務めた高村は、その頃の山歩きを懐かしく思い出すのであった。

 そんなことから、仲間を誘い再び岡山の山へと、回数を重ねることになった。岡山地区には、喋りながらの山歩きには、もってこいの低山と温泉がある。年に一度の会合が待たれるようになった。

 過去四回の山名をあげておこう。

第一回 那岐山 (芦津渓)        世話役 高村、新井

第二回 日名倉山、後山 (粟倉温泉)       酒井、川崎

第三回 花見山、大倉山 (千屋温泉)       奥村、川崎

第四回 仏ケ山、上蒜山 (湯原温泉)       寺本、川崎

 

そして今回は、泉山(上斎原温泉、奥津温泉)であった。

2001年10月27日(土)、11時「奥津温泉・道の駅」集合。

 岡山勤務が今年で終る寺本がゼネコンをかってでて、下請けに高村、川崎、新井を起用し、事前の十分なる調査、根回しの上で、巧みに参加者を募った。

 参加者名 (京滋地区)安藤、斎藤、中島、平井,酒井、高村、福島、原田

      (阪神地区)広瀬、井上、川嶋、潮崎、青野夫妻、新井夫妻

      (東京・中国地区)奥村夫妻、薮内、内山、川崎夫妻、寺本   計23名。

 

 翌日登山予定を雨の天気予報で急遽本日実施に繰り替えたのは、正解だった。笠菅峠までクルマで上がり、お弁当を持って登り始める。ひのきの植林を抜け出るとカラマツの黄葉やコナラなどの広葉樹、ササタケ、ヤマツツジなど紅葉が美しく眺められ,展望もよろしく、整備された登山道を楽しく登る。足元にはリンドウが咲き、可憐なナデシコが秋の七草ですよと顔を出していた。電波反射板を経て約2時間にて山頂に至る。

 1209mの一等三角点を中心にして陣取り、遅い昼食を摂る。頂上からは南を除いて、すべてが見渡せた。西北遠くに大山、北すぐに花知ガ山、角ガ山、東に振って遠くに扇ノ山、氷ノ山、東には那岐山がすぐそこにあった。大満足のこの景観が得られたのは、幹事のお手柄であった。

 泊まりは上斎原温泉・国民宿舎「いつき」だった。宴会では、寺本ショウチャンの山岳部時代に歌った「ペルケオ」について、歌詞、曲に関する大論文発表があり、満場の喝采を浴びた。更にはダンナからカナダ・バンフでスキーをやろうとの提案があったり、ポコ持参の「AACK70周年記念映像記録」ビデオ(編集中)を鑑賞したりと、たいへん盛り上がったものになった。

 翌日は、やはり風雨の激しい天気となった。が、皆さんは動ずることなく予定の岡山県立森林公園へと向った。管理センターで様子をみるも降りは激しく、諦め再訪を期して引き上げた。後はゆったりと奥津温泉・花美人の里にて、過ごすことになった。着いてびっくり。古い奥津温泉は無くなり、木材を生かした天井の高い空間のある新建築のリゾートが出現していた。昔の「美人の湯」がピカピカの遊興の浴場に変身しているのであった。

 来年は、見学し損なった森林公園をメインとする計画で、世話役の留任が決まり、再会を誓って解散となった。(新井 浩記す)