大日岳遭難事件山本・高村救出作戦

岩坪五郎 

 これは日本山岳会京都支部会報に掲載予定のものですが、なるべく多くの方に読んでいただきたい思い、京都支部の了解を得た上で、投稿するものです。やがて、富山地検への嘆願書の署名依頼とカンパのお願いが皆様にも参ります。どうぞよろしく。

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 すでにJAC京都支部のみなさんには、山本・高村支援委員会から支援金の要請文書が発送され、さらに2月中に富山地検への嘆願書に署名の要請書を、かなり詳しい趣意書とともにお配りする予定です。

 ここでは山本・高村さんたちの支援者の一人として、私の理解するところを、私の心情を交えてお伝えしたいと思います。

 【まず結論から申します】

 200035日、前途有為な二人の若者を登山事故で失ったことは本当に残念であり、悲しいことです。心からの哀悼の意を表するとともに、ご家族にたいしお悔やみを申しあげます。

 登山研修所、文部科学省、国は大学山岳部リーダー冬山研修会の主催者として、遺族に対して懇篤な弔意の表明と充分な補償をされることを要望します。

 亡くなった両君の遺族は主催者、国の対応を不満とし、200235日、国に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起しました。その弁護団は現場の講師(リーダー)の過失により事故は起こった、よって国には過失責任がある。国は遺族に対して損害賠償を行えと主張しています。

 事故後、一流の雪氷学者、測量学者、登山家などによってつくられた北アルプス大日岳遭難事故調査委員会は、今回の事故は異常な気象条件と豪雪の重なった巨大な雪庇の崩落と雪崩による事故で、その予見はベテランの登山家をもってしても不可能であったという趣旨の結論をまとめて報告しました。(「北アルプス大日岳遭難事故調査報告書」平成132月、北アルプス大日岳遭難事故調査委員会。この報告書はホームページ: http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/13/02/houkoku/ でみることがきます。また、YAHOOなどで「大日岳 遭難」と入れると、民事訴訟についての署名要請欄などもみられます。)

 富山県警は遺族による民事訴訟が提起された後、昨年1126日、業務上過失致死の容疑で山本・高村両氏を富山地検に書類送検しました。

 つまり、山本さんと高村さんにとって、事故は予見不能であったにもかかわらず、また事故以前、事故後の彼らの行動はリーダーとして優れたものがあったにもかかわらず、いわば生け贄として、人身御供として彼らは起訴処分を受ける可能性がでてきたということです。

 私たちは座して、この事態を看過することはできません。彼らを単に山の仲間だからという、安易な連帯感からではなく、公衆として、また一般登山家として、彼らの起訴は社会正義に反すると考えます。このような状況のなかから彼らを救出しなければなりません。富山地検へ嘆願書を提出することは、彼らを救出することに繋がると、ふたりの弁護士さんたちは言います。この救出作戦に成功しないと、今後、文登研(文部科学省登山研修所)の冬山研修の講師をひきうけることは極めて困難になります。一般の登山パーティでも、リーダーはつねにいわれのない過失責任を問われることになります。つまり、日本の登山の健全な発展を阻害することになるでしょう。

【救出作戦への私の関わり合いの経緯】

 昨年9月、学生のころからの友人である荻野和彦さん(JAC岐阜支部、愛媛大学名誉教授、現在滋賀県立大学教授)から電話がありました。朝日新聞に大日岳遭難事件で主任講師ら書類送検か?という記事がでているが、詳細を知っているか、ということでした。この記事のことを知らなかった私は、あわてて、山本さんや彼の周辺の登山家たち、マスコミ関係者に事情を尋ねました。まさかこの件で、書類送検されることはないだろう。山本さんたちにとって山岳警備隊を通じて上市署や富山県警は気心の知れた仲間内みたいなものだ、成りゆきに任せていいのではないかと、皆さん、それはそれはのんびりした構えでした。それを伝えたら荻野さんはひどく驚きました。万一の準備をしておくべきだと言うのです。公務員なら書類送検で進退伺いだ、起訴になれば即刻休職だ。彼らはプロのガイドという職を失う可能性があると言うのです。実は昔、大学がもめていたとき、私は不退去罪の現行犯で機動隊に逮捕されました。続く賃金カット弁償請求の民事訴訟で、荻野さんは支援をしてくれたのです。そういうことで私たちは一般の登山家より少し経験があります。斎藤惇生さんは、経験豊かな(?)君たちが活躍してくれることは心強いというファックスをくれました。

 荻野さんは山本さんの了解を得て、知り合いの弁護士さんと相談しました。弁護士さんは書類送検を視野に入れて準備しておく必要がある。そのため、刑事事件に堪能な二人の弁護士さんを紹介してもらいました。彼の心配は的中し、昨年1126日、山本、高村の二人が書類送検されたのです。

 書類送検の記事が出た日、杉山さんから電話がありました。何か手伝うことはないかと。荻野、杉山、私の3人は山本さんに同行し、弁護士事務所に三野岳彦弁護士、武田信裕弁護士を訪ねました。高村さんも加わりました。2人の被疑者、2人の弁護人、3人の支援者という仕組みがこのようにしてできあがったのです。京都支部ではただちに支援委員会が作られ、まず弁護士費用の捻出など支援活動のための募金活動が始まりました。

【二人の登山歴など】

山本一夫さんは大津市でアウトドアグッズ販売店「岩と雪」を経営しています。ヨーロッパアルプスの厳冬季グランドジョラス北壁試登、アラスカのマッキンレー峰西稜第二登などに活躍してきました。1992年には中国領ヒマラヤのナムチェバルワ峰の初登頂という偉業を成し遂げました。この功績をたたえて、滋賀県知事と文部大臣がそれぞれ「スポーツ功労賞」を、大津市長が「優秀スポーツ選手賞」を贈りました。現在は国際山岳ガイド連盟認定山岳ガイドで、日本山岳会、日本山岳ガイド連盟、関西山岳ガイド連盟(会長)に所属しています。また、同志社大学山岳部の専任コーチです。文登研の冬山研修に20数回講師として招聘されています。

 ナムチェバルワ峰遠征隊長だった斎藤惇生さんによると、山本さんの活躍はめざましいものがあったといいます。それを聞いた時、私はアンナプルナ初登頂におけるリオネル・テレイ、チョーユウにおけるパサン・ダワラマを彷彿しました。

高村真司さんは山形県東根市で山の店「モンターニュ」を経営しています。日大山形高校山岳部時代に朝日連峰単独縦走、積雪期北蔵王全山縦走、鳥海山登頂を成し遂げました。愛知学院大学山岳部時代には日本山岳会学生部に属して、中国天山山脈ボゴタ2峰遠征を成功させました。ガウリシャンカール峰遠征、中国シシャパンマ峰(8,027m)登頂など輝かしい登山歴を持っています。この功績により東根市から体育功労賞が授与されました。同市登山講座講師をはじめ青年センター運営委員他多数の公職を勤め、東北山岳ガイド協会理事、月山朝日ガイド協会副会長を勤めています。文登研には1990年以来講師となって現在まで12年余りになります。

 文部科学省はその性質から、冬山研修の講師の履歴、業績を厳しく審査します。ここで長年、いわば常連として講師に招聘され続けていることは、彼らが日本一流の、日本の登山界を代表する登山家、登山ガイドであることを示しています。

【事故発生前後】

 山本さんはチーフリーダー(主任講師)として、高村さんはパーティリーダー(2班担当講師)として今回の冬山研修に大きな責任を負っていました。二人の行動を、私たちはつぶさに調査し、整理しておく必要があります。二人は民事裁判における証人として証言しなければならないし、富山地方検察庁では被疑者として熾烈な取り調べを受けることになります。そのための準備が必要です。山男は皆、生来、善人だなどといっていてはなりません。

 冬山研修では雪崩と雪庇について理論的な考察、実践的な警戒について、受講生たちに緻密に、熱心に教育していたとされています。この山行は大学山岳部リーダーに対する実習教育ですから、一般の登山におけるよりも厳しくおこなわれたことは想像に難くありません。雪庇崩壊とその時の登山チームの状況について、前述の北アルプス大日岳遭難事故調査委員会による「北アルプス大日岳遭難事故調査報告書」(平成132月)は現場やその周辺のデータを集めて、綿密な考察をしています。

1月末と当日の現場の積雪、雪庇の状態について、報告書の「図3-4 雪庇の形成過程と内部構造」を転載しました。現場では積雪の下の地形をみることはできませんし、また雪庇の先端部分を確認することもできません。長年に亘って培った経験が行動の頼りになります。このときの雪庇の張り出しは著しく大きく、風下側に巨大なものを発達させていました。

 報告書では「今回の事故の後も、多くの雪氷研究者から、吹き溜まりや雪庇の雪は硬くて丈夫で簡単には 崩落しないという意見が聞かれた。今回の事故のように巨大な雪庇が発達し崩落したことは、登山界でも雪氷研究分野でも報告が見当たらず、特異な現象と認識されている。」私もそう信じてきた一人です。

 次に雪崩の崩壊は自然のものか、人間が雪庇の上に踏み出したからかが問題です。報告書は、曲げモーメントの計算をして、  全曲げモーメントに対し、人によるモーメントの増加は0.18〜0.21パーセントとし、「全曲げモーメントに対し、人によるモーメントの増加は、いずれの密度の場合も(雪の密度が考えられる範囲で異なって、雪庇の強度が変化したとしても)雪庇の崩落に対する人の影響は大きいとは言えない。 以上のことから、今回の雪庇は、主として自重による曲げモーメントにより、 雪庇の引っ張り強度を超える力がかかって破断し、崩落するに至ったと考えられる。」としています。

 最後に報告書の結論部分をそのまま引用します。

「今回の雪庇崩落の原因及び特異性

    今回の雪庇崩落は、これまでの報告あるいは記録において類例を見出すことができない。

  雪庇の下方 (堆積した積雪層の底のほう) 10メートルもの位置にしもざらめ化した弱層があって、それが原因で雪庇が崩落した事例は今まで報告がなく、山岳関係者も雪氷研究者も体験したことのない特異な現象と考えられる。」

「研修会における安全上の対策並びに雪庇の形成及び崩落の予見可能性について検討した結果、集積した情報や経験をもとに、積雪や雪庇の観察を行い、雪崩や滑落の危険を考慮し、また、雪庇を避けるルートを選定しようとした登山研修所及び講師陣の考え方や方法に、登山の一般的な常識からの逸脱はなかったと考えられる。

  今回の崩落は、大日岳山頂付近において、前期の少雪・弱風期間にしもざらめの弱層が形成され、後期の豪雪・強風期間に巨大な雪庇が形成されるという二つの事象が重なったために発生した特異なものであって、そのような雪庇の形成及び崩落を予見することができず、山稜の想定を誤って雪庇の上に休憩することとなった。このことが今回の事故の原因と考えられる。

  仮に、経験豊かな他の登山家が、当時、一般に入手できる情報等をもってしても、予見することはできなかったと考えられる。すなわち、今回の特異な雪庇崩落には、これまでの知識や経験が通用しなかったと言える。」

 事故の原因が直接的にはリーダーの過失によるものでなかったとしても、それでリーダーの任務が終わるものではありません。事実、2人の行方不明者の捜索に対する彼らの献身ぶりは文字通り身をなげうっての懸命のものでした。

この捜索の行動記録も私たち支援者は正確にまとめる必要があります。

200110月、文登研友の会が主催したシンポジウムにおいて大日岳遭難事故の経過が詳しく報告されました。この席には両家のご遺族も出席していました。この席で山本さんは特に発言を求めました。「原因、理由が何であれ、山で遭難事故を起こしたことは登山家として恥ずべきであり、自分のミスであると考える。遺族の無念を思うと、言うべきことばがない。伏してお詫び申し上げる」と真情を吐露しました。これを聞いて遺族から山本一夫の真意を深く理解し、事故発生以来の山本らの尽力にたいして深謝するという旨発言がありました。

このシンポジウムの後、催された現地追悼山行を終えた時、遺族が山本一夫を「千山荘(立山町千寿が原)」に招きました。「山本らを恨んではいない、山本らを個人的に訴えたりすることは今後、一切しない」ということを遺族は伝えたのです。

 【文部科学省と遺族の方の民事訴訟】

 文部科学省は遺族との対応の基礎として調査報告書が出るのを待っていたようです。報告書は現場での遭難を予見不能であったと結論したので、文部科学省はそのまま、リーダーの行動に過失はなかった、従って文部科学省には過失も責任もないとの態度を遺族に対してとったようです。この事故で遺族に支払われたのは、亡くなった受講生が文登研で保険会社に支払った1千円の保険金に対する200万円だけだという話です。お役所は事故に備えて保険をかけておくことはできないのだそうです。

 冬山研修の企画者であり、主催者である文部科学省が過失・責任はない、従って謝罪はしない、弔意を示す財源はないとなると、遺族の方が憤慨されるのは当然です。遺族は国に対し、損害賠償請求の民事裁判を起こしています。現場のリーダーの過失、判断ミスによって二人の受講生は遭難死亡した。損害賠償を国に請求するというものです。

 遺族が文部科学省、国側の誠実さに欠ける態度に憤慨されるのはよくわかります。しかし、損害賠償を得るために、現場のリーダーに過失責任を押しつけるのは、理論的に、道義的に無理があるのではないでしょうか。過失とする理由が、積雪期登山では雪崩と雪庇に注意しなければならない。そうした一般常識に違背して雪庇に乗った行動に過失責任をとれという主張で、ふたりを標的にしたのでは、いわれなく人身御供を要求していると言わざるをえません。

【富山県警と富山地検】

  富山県警、上市署の山岳警備隊は、遭難直後に要請を受けてヘリコプターを出動させました。以後もヘリコプターで雪渓の上を飛んで捜索にあたりました。調査報告書が出てから(20012月)、上市署は講師たちの事情聴取を始めました。遺族の民事提訴は200235日。富山県警が富山地検に山本、高村を業務上過失致死容疑で書類送検したのは、20021126日です。最近、警察の捜査行動が鈍い、初動捜査体制がなってないとの批判がマスコミを賑わしています。遺族の富山地裁への民事訴訟も有名になってきており、富山県警は事件を握りつぶしたと言われることをおそれて、富山地検に判断を委ねたのではないかというのが、マスコミ関係者の意見です。

 弁護人が富山地検の担当検察官に確認したところでは,担当検察官は,よく調査検討した上で判断したいと慎重な様子であり,取調べももう少し先になるだろうとのことでした。起訴・不起訴の処分も,民事裁判の動向を見ながらになるようです。起訴して法廷を維持するためには、雪氷学の見地から、登山家の立場から充分な証拠をそろえる必要がある。不起訴を決定すれば、民事訴訟の関係から検察審査会の要求が出る可能性があると想定されます。

【弁護人と支援者のこれからの活動:世の中のシステム】

 世の中を単純に善玉、悪玉に分けて判断する傾向があります。検察官は罪人を作ることに専念する人だと思っていました。ところが、それには前段階があって、検察官は法廷で有罪になる可能性のある事件だけを厳選して起訴するのだそうです。その厳選の判断基準は公益の立場です。英語でPublic Prosecutorと言います。事件の証拠、判例などのほかに、一般の市民の意向も大きい要因です。私たちが今、富山地検に不起訴処分決定の嘆願書の署名を集めようとしている目的は、お上にお慈悲を懇願するのではなく、社会正義にたった公衆の意見(public opinion)を検察官に提示しようとしているのです。社会正義の立証とともに公衆の意見であることを示すために数が必要なのです。社会正義の立証のためには、弁護士さんにがんばってもらわねばなりません。そのためには、必要な理論とデータを弁護士さんに提供しなければなりません。数は我々の仕事です。まず日本山岳会6000人弱の会員にお願いしようとしています。

 勧善懲悪の考えの他に、階級闘争の考えがありました。弁護士さんを依頼するにも、資本家側か労働者側かといった立場のありかを考えるものです。今回の事件はどうもそれでは割り切れないようです。文部科学省は裁判所の指示がないかぎり、独自に弔意を表し、国民の税金をかってに支払うことはできない。遺族も裁判所に判決を求めている。検察庁は独自の検討を重ね、公益の立場から公衆の意見の表明を待ちながら、民事訴訟における裁判所の決済を待っている。

 つまり、民主国家では公衆の意見と裁判所の判断がすべてを決定するシステムになっているようです。公衆とは、階級とか組織とかに属するものではなく、私たち市民一人ひとりのことだと私は考えます。

 このように考えると人身御供にされようとしている山本さん、高村さんを救い出すために、日本の登山界が健全な発展を遂げるために。そしてわれわれ一人ひとりが楽しく、愉快に山登りを続けるために、他人ごとではなく、公衆の一人として意見表明などの行動をする必要があります。