報告

☆メンバー:奥村(リーダー)、高尾、及川、伊藤

l 3月14日

成田 20:00集合〜22:00出発

l 3月15日

ジュネーブ 8:30到着〜15:30出発〜18:00ヴィジールでガイドと合
流〜21:00ペルブル(泊)

l 3月16日

9:10出発〜10:30エイルフォワッド〜14:00セザンヌ小屋(泊)

l 3月17日

5:50出発〜8:00氷河末端〜10:30一名ヘリで収容〜14:10エクラン
小屋(泊)

l 3月18日

8:30出発〜9:50ブラン氷河小屋〜11:40エイルフォワッド〜12:45
ペルブル15:00〜16:30ラグラーブ17:30〜19:00ベラルデ(泊)

l 3月19日

10:15出発〜11:00ポンピエール氷河出合〜12:35シャテルレ小屋
(泊)

l 3月20日

5:05出発〜7:50プロモンティアール小屋8:50〜9:45メイジュのコル
10:15〜11:20シャテルレ小屋12:50〜13:30ベラルデ(泊)

l 3月21日

7:40出発〜8:40レザルプ スキー場〜11:00ラウズ山〜13:20ラ
トー西峰〜16:00ラグラーブ

l 3月22日

8:20出発〜10:30オレル11:00〜トロワバレースキー場〜13:30タ
ニヤ



車でシャンパニーまで移動し、日本から着いた、C,D班メンバーと合流。後片付け
をした後しばらくしてから一人でジュネーブへ車で移動。予定通りジュネーブ発パリ
行きの飛行機に乗る。深夜パリを出発。翌日の夜、成田に着いて無事帰国。





l 3月14日(金)

夕方6時まで会社で仕事をして、成田へ移動。荷物はほとんど前もって送ってあるの
で、小さなザックひとつだけで都心のラッシュも問題なかった。8時に着くと先にみ
んな着いていた。夜10時のフライトは初めてで、成田が閑散としているので驚い
た。

l 3月15日(土)晴れ

ほぼ定刻の朝4時半にパリへ着いた。ヨーロッパについていえば夜行便は楽である。
昼間の便より時差が感じにくい。空港はイラク戦争前で厳戒態勢であった。7時の飛
行機でジュネーブへ飛んだ。予定通り8時半にジュネーブに着くと、これも予定通り
今回のコーディネーターの佐々木さんが待っていた。一年ぶりの再会を互いに喜ん
だ。

みんなで荷物が出てくるのを待ったが、いっこうに出てこない。結局預けた9個の
バック、スキーは一つも出てこなかった。同じ飛行機で来たかなりの人が同じ状況で
あった。

早くも空港で佐々木さんの出番が来た。事務所で聞いても荷物がどこにあって、いつ
着くか要領を得ない。結局荷物が来るまで空港で待機することにした。

午後からの2便ですべての荷物がくることがわかり、待たせていた送迎車でジュネー
ブまで観光することにした。レマン湖のほとりで降りて、旧市街まで散歩しウインド
ウ・ショッピングを楽しんだ。何回もジュネーブには来ているが、観光したのは初め
てだった。

ジュネーブ駅のすぐ前にある中華料理屋で昼食をとり、空港に戻った。言われたとお
り、2便にわたってすべての荷物が着いた。時間は3時であった。7時間も待たされた
ことになる。気を取り直して送迎車にて出発。

グルノーブルから少し行った古城のある町、ヴィジールで今回のガイド二人(アンド
レとセドリック)をピックアップした。アンドレはこれまで2回ガイドをお願いしてい
る。セドリックは初めてである。アンドレ44歳、セドリック30歳。ともに実力者であ
る。

ラ・グラーブにつくころにはすっかり日も暮れていたが、月明かりで盟主メイジュが
よく見える。これから行くルートを車から降りて説明してもらえた。

ラ・グラーブから峠を越え南下してエクランのブラン氷河への入り口にある小さな村
ペルブウの民宿に着いたのは9時を過ぎていた。すぐに山に持ち込む荷物と、ラ・グ
ラーブにデポする荷物に分ける。ここで問題が発生した。われわれが日本から持ち込
んだ食料をガイドが重くて嵩張るので全部は持てないと言い出したのだ。事前に旅行
会社経由で食料計画表と重量を送っておりガイドにもOKが取れていたと思っていた
のだが、まったく連絡が入っていないようだった。

ガイドはロープやその他のギアでザックは満杯でザックには入らないと言っている。
ここでカンカンガクガクの議論になったが、仕方なく何とか量を減らし、みんなで分
担して持つことにし収まった。

荷分けが終わり食事にありつけたのはすでに夜中になっていた。地ワインを飲みなが
らグリルされた地鳥を頂く。大変長い一日であった。ただ、天気がこれから一週間良
い予報が出ているのが救いであった。



l 3月16日(日)快晴

アルプスはここ一ヵ月半ほど雪らしい雪が降っておらず、ここ一週間は晴天が続いて
いたらしい。またこれからもしばらく好天が続くという。大変ラッキーであるが、雪
質の方は朝硬くクラストして、午後からはボソボソになるという悪雪であった。しか
も風もなく大変暑い。日本で言えば5月連休後半の気温である。

今日の行程は短いので出発を遅らしゆっくりする。すべての荷物をザックに入れると
満杯になった。ただし、日本から軽量化を目指していたので重さは感じない。今日は
暑くなりそうなので、その分着るものを担がねばならず、嵩張った。

9時に出発。正面にペルブウ山を見上げながら、林道を谷に沿って少し遡ると、すぐ
に車止めがあり雪が出てきた。30分程スキーを担いで歩いていったところからシー
ルを貼った。

のんびり、ゆっくりと進んでいく。途中のエイルフォアッドには一軒だけカフェが営
業しており、ノンアルコールビールで乾杯してゆっくり山を眺めた。ペルブウはすご
い岩山で、急な岩稜が何本も派生している。

ペルブウを横に見ながらシールでゆっくりと進んでいくと目的のセザンヌ小屋がある
小さな林が見えてきた。ここには夏には大変賑わうだろうロッジが何軒もある。

冬小屋はその真ん中にあり、石造りでなかなか立派であった。

夕食はわれわれがアルファ米とスープに海草サラダといったすべて乾燥食品。ガイド
はチーズ、サラミ、スープ、パスタ類といったまったく違うものを食べていた。

水は周辺の雪を溶かして、トイレは小屋の周りで適当に始末するといった日本と変わ
らないものだった。

小屋は無人にしては日本に比べ格段に暖かいもので、ベッドにはマットレス、毛布が
完備されていた。また大変清潔な小屋だった。炊事は決められたステンレスのテーブ
ルの上だけで行い、食事を摂る大きな木の机では行わない。

夕方明日行くルートを眺めると、いったいどこを登るのかというような厳しいセラッ
ク帯が見える。



l 3月17日(月)快晴

日が昇る前5:50に出発。ブラン氷河の右岸へ大きく左からまわりこんで取り付
く。ゴルジュのようなところを岩壁と岩壁の間の少しゆるくなった斜面をトラバース
する。雪面は硬くクトーを使って登る。

次第に傾斜は急になるが、ジグザグを切ってシールとクトーを使い上る。滑り落ちる
と谷底まで止まらないだろう。雪が硬くて所々ではクトーが浮いている。一箇所急な
ところはスキーを脱いで両手にスキーを持ってつぼ足で直登した。そこで一人がク
トーを誤って落としてしまった。クトーがないと今後の山行にかなり影響が出る。

そこで、ガイドが一人谷底へアイゼンに履き替えて探しに降りて行った。首尾よく見
つけ、すごいスピードで我々を追いかけてきた。ついでにもう一人のガイドが先ほど
誤って落としたヘッドランプも回収してきた。

セラック帯に入り氷河の右岸を登る。夏道は左岸にあるが、右岸が近道だ。先を見る
とかなりの傾斜で登っている。上部からブロックが落ちてくる危険性があるのでゆっ
くりとした通過は禁物で、すばやく休まず通過する必要がある。この辺まで来ると日
も高くなり大変暑くなった。汗がどんどん出て体もだるくなってきた。急にメンバー
の一人が体調不良を訴えた。暫く休んで様子を見たが、この先を考えてここでリタイ
アするということになった。すぐにガイドがヘリを呼んだ。15分くらいでヘリが来
て彼を回収してブリアンソンの病院へ向かい飛び去って行った。時間も遅くなり我々
のルートの上からブロックがいつ降ってくるとも限らない。ゆっくりだが休まずジグ
ザグを切って登る。かなり急な斜面を登った後右へトラバースし、ルンゼ状を登りき
るとやっと休めるところがあった。ヘリへの収容を担当して遅れていたセドリックが
追いついた。すごいスピードだったが、汗をかいていなかった。

そこから広い氷河をしばらく登ると氷原のようなところに出た。氷原の対岸の高台に
エクラン小屋が見えた。氷原の左奥にはエクランがそびえていた。まっすぐ氷原を横
切り、エクラン小屋を目指す。

エクラン小屋の真下でスキーを脱いでデポし、坪足でステップを切って登り始めたと
きに、ガイドのセドリックが急に倒れた。すぐにアンドレが降りてきて介抱しようと
したが、痙攣が激しくヘリで病院へ収容することになった。

ガイド一人、メンバー一人の二人を一日の間にヘリで下山させる一大事となった。他
のメンバーはエクラン小屋まで上がり、明日からの行動を小屋で話し合うこととなっ
た。エクラン小屋はブラン氷河から約150m上がったところにある。氷河の後退で
標高差がついてしまったようだ。大変大きな小屋で、夏はかなり賑わうようだが、今
はイギリスから来た二人組みだけが同宿だ。小屋からはエクランが正面に見える。明
日登る予定になっているドーム・ド・エクランの氷河は大変急で途中には今にも落ち
てきそうな懸垂氷河がある。実際落ちた跡が氷河上に何筋も付いている。いつもと違
いかなり危険な状態のようだ。隣のイギリス人パーティーも登頂はあきらめたとのこ
と。

天気は良くて最高の眺めを楽しみながら各自汗でぬれたものを窓から外に出して乾か
した。ヘリでセドリックを送り出したアンドレが小屋へ上がってきて、これからの行
動を話し合った。その結果、以下のことが決まった。

1、 ガイド一人ではドーム・ド・エクランはおろかエクランのコルも越えられな
い。

2、 ここからペルブウに下るにしても、登ったルートはガイド一人では無理で、左
岸の夏道ルートを滑る。

3、 その後、明日宿泊予定のベラルデへは車でラグラーブ経由でぐるっと下を周っ
てはいる。

4、 メイジュのコルまでは行けるが、それを越えていくルートはガイド一人では無
理なので、往復となる。

5、 その代替としてレ・ザルプのスキー場からメイジュのスキー場へ滑り込んでラ
グラーブまでのツアーは可能。

夕日が周りの山を染めていく。素晴らしい景色を堪能でした。エクランには少し雲が
かかり、明日の天気を心配させた。



l 3月18日晴れ

雪が緩むのを待ってゆっくりと出発。小屋からはアイゼンを履いて出発。雪面が少し
急で硬いので後ろ向きになってピッケルのピックを刺しながら慎重に降りた。

デポしていたスキーに履き替え滑り出す。ガイドからは転ばないようにスピードを落
とし、慎重に滑るように言われた。少しブレーカブルクラストになっていて滑りにく
く、緊張した。ブラン氷河小屋までは広く、傾斜も緩かったのでクレバスにだけ気を
つけて滑った。

この下は急でクレバスも多く、下手に転ぶと滑落して命取りになる。ここで雪が緩む
まで時間待ちをした。昨日一緒になったイギリス人の二人ともここで再び出会った。

20分後に出発し真下のセラックだらけの氷河に飛び込む。ガイドの通りに滑り、ゴ
ルジュのすぐ上で右岸に渡り昨日の登りのルートに合流した。セラックになった氷河
の右岸上方の急な斜面をギルランデしながら滑る。ここでは転倒は許されない。

慎重に滑り降りセザンヌ小屋付近まで来ると、やっと安心して滑るとこが出来るよう
になった。快調に飛ばしてエイルフォワッドで行きに寄ったカフェで一休みした。そ
こで電話をして車を手配し、ヘリで収容されたセドリックとメンバー一人の安否を聞
いた。二人とも元気になり、退院したと聞いて安心した。

ペルブウまで滑り、車を待つ間二日前に泊まった宿泊所で遅い昼食をとった。メイン
はマスが出てきて大変おいしかった。地ワインも飲んでゆっくりした。

車でベラルデに向かって出発。途中で昨日ヘリで収容されたセドリックをピックアッ
プし、ラグラーブではヘリで収容されたメンバーが泊まっているホテルに寄って荷物
の整理をした。今後の計画変更も再度打ち合わせた。

結局、ガイドは二人、メンバーは三名、ルートはベラルデからエタンソン谷をメイ
ジュのコル往復。レ・ザルプからラトーに登頂し、ラグラーブまで滑り降りる。

ベラルデまで車を飛ばしたが、まだ道は公式には開いていない。除雪はされていると
の情報なのでいける所まで行ってみることとした。メイジュをぐるりと周って反対側
へ行く。ドライバーのおかげで無理やりベラルデまで何とか車で入れた。途中のサン
クリフトフには小さな村だがメイジュ関連の山岳博物館があった。ベラルデは冬には
全く閉ざされた村になるが、そのまま残る人もわずかにいる。宿泊所はわずかに一つ
が開いていた。まるでアルプスの少女ハイジに出てくるような村で、宿泊所のおじさ
んは漫画に出てくるおじいさんそっくりであった。達磨ストーブが閉ざされた場所い
るなんともいえない雰囲気をかもし出していた。その傍らにあるテレビでは衛星放送
でイラク戦争の開始と戦況刻々と伝えていて、すごい違和感を感じた。



l 3月19日快晴

ゆっくりと出発。エタンソンの谷を景色を見ながらゆっくりと登っていく。静かな谷
で人の気配がない。

ボンピエール氷河の出合ではエクランが高く、軍艦のように見えた。すごい岸壁を
纏っている。本来の計画ではエクランのコルを越えてこの谷を滑ってくることになっ
ていた。

再び歩き始めると、正面にメイジュが左右に堂々とした岸壁を広げて聳えている。左
の低くなった「窓」が目指すメイジュのコルだと言うことはすぐにわかった。

快晴の下、周りをすごい山々に囲まれ大変静かなエタンソン谷を歩くと、大変気持ち
がいい。しばらく行くと谷の真ん中にシャテルレ小屋が見えてきた。

早く着いたので、机と椅子を外に持ち出し、みんなで無風快晴の下でランチを楽しん
だ。日が当たっていると暑いくらいだ。思い思いの午後を過ごす。ガイドたちは小屋
の壁をボルダリングしていた。伊藤さんと私は近くの斜面を一本滑った。また、ビー
コンを使った捜索訓練も行った。デジタル、アナログの違いや、最新の捜索方法を教
わった。

小屋はとても快適で、大きなベッドがあった。夜、外に出ると星が本当にたくさん見
えた。日本ではどこの山に行ってもなかなかこれほど澄んだ空にはならないので、こ
れほどの数の星は見たことがない。



l 3月20日快晴

日が昇る前に出発した。ヘッドランプをつけて歩くが、涼しいので良いピッチで歩け
る。夏のコースタイムでプロモンティアール小屋まで行けた。ここで大休止して雪が
緩むのを待ちながら、周りの景色を堪能した。小屋は小さくて岸壁に引掛かけている
ような作りで、手すりの真下は目もくらむような絶壁だ。小屋に入るときも雪の急斜
面をトラバースするのがすごく怖かった。

再びメイジュのコルに向けて出発した。直下でスキーをデポし、アイゼンとピッケル
でアンザイレンして登る。三人一組になって急な雪面についたステップを辿る。左右
は見上げるような岸壁だった。

コルから向こう側を覗くと、こじんまりしたラグラーブの町が見えた。遠くにモンブ
ラン、グランドジョラス、グランカッセなどが見えた。計画でコルから滑り降りる
ルートを見たが、尾根の向こう側は見えなかった。

記念撮影をしてから、同じようにアンザイレンして下った。デポ地からはスキーに履
き替えていよいよ滑降となった。

太陽で雪面も適度に緩んで滑りやすくなっていた。ガイドに付いてどんどん滑ってい
く。セドリックはモーグルのナショナルチームに所属していたので大変スキーがうま
い。アンドレはガイド特有の堅実なすべりでこれも大変うまい。

あっという間にシャテルレ小屋に着き、小屋でのんびりしていたら今日は数名人が
登ってきた。山スキーで中高年が多い。シャテルレ小屋からベラルデまでのんびりと
滑って降りた。途中でエクランを見て再びすごい山だと感心した。

ベラルデの宿泊所に着いてから外にテーブルを出してお昼ご飯を食べた。気持ちのい
い午後だった。ビールで祝杯を挙げた。

テレビで見るヨーロッパのリゾートとはこんなものかと不思議な感覚になった。日が
当たっていると暑いくらいなのだが、日が翳ったり雲に隠れるととたんに寒くなる。
空気が大変乾燥しているからだろう。

夜になって隣のおじいさんが訪ねてきた。この人も冬になってもずっとこの村に残っ
てひたすら春を待っているらしい。ひげが大変立派で板垣退助のようだった。冬の間
家で何をしているのかと聞いたところ、手を組んで親指をぐるぐる回していると言っ
ていた。飽きると一週間交替で回す方向を逆にしていると言っていた。



l 3月21日快晴

チャーターした車が迎えに来た。昨日から正式に道が開通したそうだ。車でサンクリ
フトフまで行ってお茶を飲んで時間をつぶす。ここのカフェのおばさんが車をチャー
ターしてくれたらしい。セドリックがお茶をご馳走してくれた。

レザルプのスキー場の裏側からゴンドラで上がった。山の上にはベラルデとは対称的
に一大高級リゾートスキー場になっていた。大勢の人で賑わっていた。ゴンドラとT
バーを乗り継ぎ最後は大型雪上車に引っぱってもらい、ドームデラウズの頂上まで
行った。

頂上からはエクラン、メイジュを始めモンブラン、グランドジョラス、まで見渡せ
た。ラグラーブからのスキー場とここで繋がっている。ラグラーブのスキー場に着く
とラグラーブのホテルで待機中のメンバーに偶然出会った。

ここからオフピステで氷河をクレバスを避けながら滑り、ラトーの麓まで行った。そ
こからシールでジグザグに登り、コルに出た。そこにスキーをデポし、アイゼンに履
き替えてアンザイレンしてピッケルを持って登った。

三人一組で間をあけてコンティニアスで登る。ちょっとした岩峰が続く。ナイフエッ
ジになっていて高度感も抜群だ。難しいところは短く切ってガイドが確保してくれ
る。

ラトーの西峰まで登りここで終了。鋭い岩峰が終点だった。いつものことながら兼用
靴で岩を登るのは大変苦労する。ガイドは慣れているのだろうが難なくこなしてい
た。

同じようにしてデポ地まで戻り、スキーに履き替えて滑降開始。新雪ではあったが雪
が悪く苦労する。途中で日陰に入りパウダーとなったので快調に滑れた。今回初めて
のパウダーであった。

ラグラーブのスキー場でもう一人のメンバーと合流し一緒にスキー場をラグラーブま
で滑った。このスキー場は整備したコースがなく、リフトもない。ゴンドラがあって
どこでも滑れるようになっている。みんなでスキー場をがんがん滑る。右手にはメイ
ジュの雄姿が見える。完全なオフピステのようなスキー場である。メイジュからの氷
河が時々崩れてくる。近年氷河がずいぶん後退したらしい。

スキー場は途中からは雪が少なくなり、かなり粘って雪を拾いながら滑ったが、途中
のゴンドラ駅まで滑ったところであきらめて、ゴンドラに乗ってラグラーブまで降り
た。

ホテルの前のオープンカフェにみんな集まり、ビールで乾杯した。その後食事前に高
台にある教会まで行ってみた。落ち着いて素晴らしい雰囲気でした。対岸にはメイ
ジュが眼前に見え、田舎のこじんまりした町を散策して、贅沢な時間を過ごせまし
た。

ラグラーブのホテルではアンドレの奥さんが待っていた。夜は一緒に食事をした。久
しぶりにちゃんとしたところで食事をした。



l 3月22日晴れ

私は今日が最終日である。車でブリアンソンを経由して山を越え、イタリアに一度
入って大きなトンネルを越えてトロワバレーの南側の町オルレまで行く。

オルレからゴンドラとリフトで山を越えバルトランスに滑り込んだ。久しぶりのバル
トランスで懐かしかった。この広さと景色にまた驚かされてしまった。しかし昨日ま
での景色とは全く険しさが違っていた。やはりここはスキー場である。

バルトランスからメリベル、メリベルからクシュベルと快調にスキーを飛ばして行
く。短時間ですごい距離を滑っている。このトロワバレースキー場はすべてのコース
の滑走距離を合計すると650kmにもなるそうだ。東京から岡山くらいまで行くだ
ろうか、すごい規模である。

雪不足のためオフピステにも入れず、また予定のボーゼルまでも滑れずにクシュベル
のすぐ横にあるタニアでスキーは終了となった。

オープンカフェで車を待つ間にビールで乾杯し、これまでの山スキーの感謝と、みん
なとの別れを惜しんだ。

シャンパニーまで車で行くと、後続のC,D班がすでにホテルに到着しており歓迎を
受けた。後片付けをしながら、みんなとこれまでの山スキーの話をして別れを惜しん
だ。

一人車に乗ってアルベールビル、アネシーといった素晴らしくきれいな町を通って
ジュネーブまで行った。ジュネーブからパリ経由で翌日の夜に成田に無事着いて終了
した。

以 上