若越国境尾根縦走

(2003 111 -13)

                                                                 阪本公一

 

 

敦賀湾を見下ろす若狭の野坂岳(913.5m)から真っ直ぐ南に延びて、琵琶湖を眼下に見る奥牧野の大谷山(813.9m)まで連なる「若狭」と「越前」の国境尾根を、若越国境尾根と呼ぶ。

今から60年以上前に、京都一中山岳部の川喜田二郎さんと土倉九三さんが、野坂山から大谷山の少し北にある赤坂山まで、二人で積雪期に縦走されたらしい。

野坂岳は眺望の良い山として、地元敦賀の人々や関西のハイカーに、手頃な日帰り登山の山として親しまれ、最近ではインターネットでも数多くの登山記や写真が紹介されている。又、大谷山の北にある奥牧野の赤坂山は、これ又展望の山としてマキノ・スキー場からのハイキングや、寒風峠・粟柄越え日帰りスキーツアーのコースとして昔から親しまれてきた。

しかし、野坂岳から赤坂山(特に三国岳まで)は、ブナの原生林と灌木、そして笹藪の為、登山道は殆どなく、未だに人がめったに歩かない人跡まれな樹林の尾根だ。この山群は、標高は低いが、日本海の冬型気象の影響をまともに受ける、悪天の続く豪雪地帯である。若越国境尾根は、雪で藪が埋まる積雪期にのみトレースが可能となる。

しかし、、視界の効かない複雑な地形の1,000mにもみたない樹林の尾根を、3日も4日もかけて悪天の中を毎日しんどいラッセルばかりする山旅よりも、八ヶ岳や日本アルプスのようにすっきりした雪稜の山を登山者は好む。未だにこの国境尾根は、人々から忘れられてしまった静かな山塊だ。でも私は、金魚のウンコみたいに登山者がぞろぞろと列をなして歩く騒々しい百名山よりも、見捨てられたように目立たないが太古のままの自然を残した地味な静かな山々に魅力を感じる。

今は亡き土倉九三さんを偲んで、そんな自然のままの若越国境尾根を歩いてみたいと、以前から計画をあたためていた。ところが、「面白そうですが、3日も4日もそんな山に大事な休暇を使うのはね…」と同行者が全く集まらず、数年が過ぎてしまった。

今年になって、ようやく5人の奇特な山仲間の参加を得る事が出来、4日分の食糧を担いで喜び勇んで出かけた。

 

1月11日(土)晴

行動:09:40/野坂岳登山口 - 10:15/栃の木地蔵 - 11:40/一の岳 - 12:10-12:40/野坂岳 -

      13:10/797mピーク- 13:40/送電線夏道尾根とのジャンクション - 15:30/866mピーク

    の手前

京都駅発08:10のサンダーバード3号にて敦賀へ。湖西線が出来て大変便利になった。

9時に敦賀につき、タクシーにて野坂岳登山口へ。中型のタクシーで登山口まで3,200円。立派な「少年自然の家」と言う宿泊設備が出来て、その近辺にもバンガローが幾つか建ち並び、昔と較べ随分変わっているのに驚く。登山道も良く整備されており、日帰り登山者も多く、野坂岳の頂上までは、全くラッセルのない舗装道路であった。頂上の直ぐ下に、20人位泊まれる立派な避難小屋が出来ていた。野坂岳からの眺望は素晴らしい。

眼下に敦賀湾、そして東の方に奥美濃の山々が連なって眺められる。野坂岳から国境尾根は、少し南東にふって降りており、ルート・ファインデイングが難しい所。送電線尾根の夏道回遊コースを歩いてきたワカンのトレースがあったから、我々は迷わなかったが、灌木が生い茂る広い尾根は、視界が効かないと極めて難しい。797mのピークからも広い尾根が南西に延びており、危うく間違いそうになった。797mの南のコルからは、すっきりした一本の尾根で、気持ちの良いブナ林の尾根を歩く。この数日、降雪がなかった為か雪はしまっており、20-30cmの深さのラッセルだけで快調なペース。866mの手前の広いピークに幕営する事にした。南の866mピークとブナ林に遮られて、日本海の風をまともに受けない快適なテント地だった。ここから北東に延びる792mピーク経由黒河川へ降りる尾根を、我々のエスケープ・ルートにしようと考えていたが、今日ここまで足を伸ばせたので、先ずここから撤退して下山することもなかろう。夕方には半月が照っていたが、夜中3時頃より小雨と霰がパラパラとテントたたいていた。

 

1月12日(日)曇り

行動: 07:00/テント地 - 07:30/866m - 08:20/806m - 09:15/661mを南に降りたコル -

        12:00/三国岳 - 13:25/明王ノ禿と赤坂山の間のコル

気持ちの良いブナ林の尾根を、ラッセルを交代しながら楽しく歩く。でも、何処を歩いていても同じような景色ばかりで、ぼんやりと気を抜いて歩くと支尾根に間違って入ってしまう。806mのピークからは広い尾根が西の方にも延びており、磁石できちんと方位を確認して行動しないと、とんでもないところに迷い込む恐れあり。661mから、主稜尾根は少し南東に降りているが、ここもややこしかった。

827mピークの北側の、東西に張られている高圧線と鉄塔が良い目印となった。吹雪かれたり、ガスが出たりして視界が効かないと多分迷ったであろう。661mの南のコルからはルンゼ状の雪面の急登。牛田イジラさんが、元気に一気に上までラッセル。新雪の直後だと、雪崩が怖い箇所だ。827mを越えると三国岳は、もうすぐだ。昨年2月に赤坂山から乗鞍岳に縦走したが、あの時に較べると、1ヶ月早い為か積雪量は1.5m位少なく、三国岳の北面も未だブッシュが相当でていた。三国岳の頂上は、昨年は真っ白だったが、今年は道標が少し顔を覗かせていた。頂上で記念写真。北の方を振り返ると、白い雪で斑模様に見える樹林の山々が幾重にも連なる。「あの山々の遙か向こうの野坂岳から、歩いてきたんやね」と、皆の顔にすがすがしい笑顔。

三国岳の広い尾根は、少し南におりてから南東方向の明王ノ禿の方に下るのだが、ここも尾根が極めて複雑。三国岳からの尾根上の丸い岩と明王ノ禿の岩稜が目印。明王ノ禿の手前のブッシュは雪で埋まっておらず、藪こぎをしながらおりた。沢も完全に雪で埋まっておらず、木の枝を渡って対岸のコルに出た。このコルの南西が赤坂山なので、明日の午前中の無事下山は、先ず問題なしと、少し早いが13:25に予定通りコルでテントを張ることにした。4日分の食糧を持ってきたので、随分と余ってしまったが、年寄りばかりなので、予定以上には食べられない。余った食糧は、牛田イジラさんが部長をする京都府立大学山岳部の現役諸君へのお土産として、持って帰って貰う事にした。

チョゴリザ、サルトロカンリ、シェルピカンリ等の遠征用に貰った数十年前の装備を、未だに愛用されている平井ポコさんに話題が集中し、就寝するまで笑いが絶えなない楽しい冬山のテント生活だった。

 

1月13日(祝)濃霧。後曇り

行動: 08:05/赤坂山北側コル - 08:25/赤坂山 - 10:45/マキノ・スキー場

濃霧の中を赤坂山に登る。頂上で少しガスが切れて、琵琶湖が一瞬見えたが、直ぐガスが舞い戻り、粟柄越えも何も見えなくなってしまった。でも、日帰り登山者と山スキーヤーのトレースがバッチリついており、道に迷う心配もなくなり、鉄塔のところからの尾根道に出て気楽な下山となった。樹林帯の尾根道を夏道通りに踏み固められた雪道をおりる。マキノ・スキー場の音楽が聞こえ始める頃より、ガスも切れて木の間越しにマキノ高原の村が見え始めた。マキノ・スキー場には立派な温泉が出来ており、600円で3日間の汗を流した。

今回は天候にも恵まれ、深いラッセルもなく、素晴らしい山仲間と一緒に、久恋いの若越国境尾根を、計画通りに運良くトレースすることが出来た。今回の山行は、計画から実行段階まで100%充実した会心の、楽しい山旅であった。

しかし、この若越国境尾根は、標高は低いが、新雪で腰までのラッセルがあったり、視界が効かない場合はルート・ファインデイングが大変難しい、極めて厳しい尾根になる。

綿の重たいテントしかなかった時代に、たった二人で、見事に縦走をやり遂げた川喜田少年と土倉少年に心から敬意を表したい。川喜田さんと土倉さん達は、どんな条件の時に歩かれたのだろうか? 一度、川喜田二郎先輩に尋ねてみよう。

 

メンバー: 阪本公一(L, 62)、平井一正(71)、堀内フカシ(62)、朝倉英子(67

      佐藤典子(55)、牛田一成(48)

装  備:  テント2張り(エスパース4−5人用、及びアライ・エアライズ2−3人用)

      スコップ2本、雪鋸1個、ピッケル2本、ワカン(各自),

            ストック2本(各自)、ハーネス(各自)、カラビナ2−3枚(各自)、

      シュリンゲ2−3本(各自)、ロープ9mm x 40m 1本(使用せず)、

      緊急薬品セット、ローソク、コッフエル、ガスバーナ・ノズル3個、

      ガスボンベ6個、食糧4日分プラス非常食