「岡山の山を登る会2004」

10月30日と31日の二日間にわたって、「岡山の山を登る会2004」が盛大に行われた。
1997年有志8名による那岐山の日帰り登山にはじまった「岡山の山を登る会」は、1998年から一泊二日の登山旅行となり、今回が第8回となる。
今回は那岐山の西に連なる爪ケ城(別名広戸仙1115m)と滝山(1197m)に登った。
爪ケ城は中世の地元豪族広戸氏が山城を築いていた山で、爪ケ城という山名は詰ケ城、すなわち最後尾の砦から来ているらしい。余談になるが、岡山県北部山地は白山火山帯に属し、良質の砂鉄埋蔵地帯である。そのため古代から砂鉄からの製鉄が盛んに行われた。筆者はこの地域の特異な山名、山(せん)仙、地名、乢(たわ、峠)、平(なる、山腹の平地)などは製鉄集団が残したものである、と考えている。また、鉄を求めて多くの武将がこの土地に攻め入った。赤松、尼子、毛利、宇喜田、織田、豊臣等がこの地に攻め入っている。広戸氏も一度尼子氏に滅ぼされている。そのため、このあたりには爪ケ城以外にも多くの山城跡が残っている。一方、滝山は山岳修験道の山で滝神社があり、その祠の横には滝がある。行者はその滝に打たれるのであろう。この他にもこの山には多くの滝がある。登山口には今も女人結界の石碑が残っている。
10月30日(土)
10時30分、参加者29名が10台の車に分乗して、宿舎である「かんぽの宿美作湯郷」の駐車場に集まった。
参加者は、斉藤ワイ,中島ダンナ、平井ポコ、酒井オシメ、岩坪ゴロー、同夫人、高村デルファ、左右田ガンコ、福嶋ビーバー、広瀬エト、井上トッキュ、新井、同夫人、青野オンビキ、同夫人、川嶋オレッチ、潮崎パイ、高野ゴジラ、井関、松井サルタン、寺本ショーチャン、奥村、同夫人、薮内ラショー、同夫人、内山ヌケサク、野村オド、川崎アワモリ、同夫人(順不同、敬称略)であった。
天候が心配されたが、曇っているものの幸い雨は降っていなかった。ここで奥村が突然持病の腰痛をおこし登山を断念して宿舎に残った。28名は7台の車に乗り換えて、爪ケ城の登山口声ケ乢(たわ)に向かった。行く途中那岐山、滝山、爪ケ城の三山が見渡せたが、山頂は雲に隠れていた。11時半頃声ケ乢に到着、長い隊列をなして登山道にはいる。今年数個の台風が中国地方を直撃したので、登山道が荒れていることが懸念されたが、登山道の倒木は取り払われていたものの、随所に根こそぎ倒れた倒木の切り株があった。約30分で第一展望所に着き休憩。日本原が見渡せる眺めのいい場所である。第二展望所を過ぎたあたりから岩の多い痩せ尾根になる、傾斜もきつくなり、あえぎながら登る。隊列はさらに長くなった。1時半頃第三展望所に到着した。そのあたりはガスっていて展望はきかなかったが、そこで遅い昼食をすることに決め、ザックをおいて5分ほどの距離の頂上まで往復した。各自に配布されたビールと弁当でにぎやかに昼食を済ませて、早々と第三展望所をあとにした。第二展望所で小休止のあと4時ごろ下山。かんぽの宿に帰着したのは5時前であった。
湯郷温泉は湯原、奥津を含め美作三湯と呼ばれる。「岡山の山を登る会」では今までに湯原、奥津温泉には入ってきたが、湯郷温泉にまだ入っていなかった。それが今年かんぽの宿美作湯郷を基地にした理由であった。この宿は温泉地にしては、風呂場が小さく、すぐ外にゴルフ場のグリーンがあり、窓の外に緑のネットが張られている。風呂の評判はともかく、宴会の料理は松茸がでたりしてまずまずであった。例年宴会の時に山行の報告やスライドなどが行われるのであるが、今回はなく、比較的静かな宴会であった。宴会後、例によって一つの部屋に集まり恒例の瀬戸内名物シャコ、エビなど持ちよった山海の珍味や銘酒を口にしながら、にぎやかに談笑した。
10月31日(日)
前日から左右田ガンコが足痛を訴えており、斉藤ドクターに治療を受けたが朝になっても好転せず、相変わらず前日からの腰痛が続いている奥村と、昨日は登山に参加して元気ではあるが奥村夫人の3人が、滝山登山を断念して帰ることになった。都合で早退する潮崎パイさんがかれらを送ることになり、4人に見送られて8時半宿を出発。途中ファミリーマートに立ち寄ってめいめい昼の弁当を買い求めた。滝山の登山口は自衛隊日本原演習場の中にある。国道R53から少し入ると、舗装道路はきれて、砂利道の演習場の道路に入る。目印は滝神社と書かれた板切れが2枚あるだけで、もしそれを見落とすと、縦横に迷路のように張り巡らされた演習場の砂利道を彷徨うことになる。10時頃滝山登山口の駐車場に着いた。滝神社の鳥居の前に20台くらいは停められる広場があり、自衛隊らしく駐車場でなく、集結地という看板があがっている。登山口には今も女人結界の石碑が残っている。登りはじめて驚いたことに、滝山は台風によって大きな被害を受けていた。そこかしこに一抱えを超えるような杉や檜の倒木があり、ある場所では30〜40mはあろうかと思われる檜の倒木が登山道をふさいでいて、大きく迂回しなければならなかった。約40分で祠の横に滝がある滝神社奥の院に到着した。奥の院からは落葉樹林帯の急な登りになる。全員軽アイゼンをつけて隊列を崩さないようゆっくり登った。なら、くぬぎ、ぶなの立派な落葉樹林なのだが、台風のせいで殆ど落葉しており、美しい紅葉を楽しむことができなかった。5合目、8合目で小休止した後、12時頃滝山山頂に到着した。頂上には一等三角点と頑丈に作られた展望台があり、晴れていると四国の山脈も見えるらしいが、ガスで視界がきかず、展望を楽しむことはできなかった。ここで昼食。少し急な下り坂を懸念したが、軽アイゼンを着用していたため、全員無事に下山した。集結地に着くと同時に小雨が降り始め、われわれ天気運が強いと自讃する。15時頃、かんぽの宿に帰着、入湯した後、三々五々帰途についた。

宴会のとき、その後の集まりでも、繰り返し今後「岡山の山を登る会」をどうするか、ということが討議された。いわく、続けるには平均年齢70歳と年齢をとりすぎた、いわく、年寄りの長距離運転には危険が伴う、いわく、30人ものスローペースの集団が登山すると他の登山者の迷惑になる、等等。確かに、年齢から見れば、曲がり角にきていることは確かですが、年々参加者が増えて今回は30名近い参加者があったということは、この会が楽しい集いであるからに相違ない。続けよう、という気持ちのある限り、道はあり、道は拓けるのではないだろうか。

(川崎あわもり記)