アコンカグア(6962m)登頂記

2004年2月15日
栗本 俊和

2004年1月3日に念願の南米最高峰アコンカグアに登頂しました。
2年前に一度チャレンジして登頂できず、今回はそのリベンジになります。その時は高所順化がうまくいかなかったのですが、結局は実力不足だったので、その反省を含めて対策として、次のことを考え、そして実施しました。
1.富士山トレーニングの実施。暇があれば、富士山に登ること。昨年、一昨年共に年5、6回登りました。
2.海外6000m級の高所登山の実施。酸素の少ない高所に慣れること。2002年9月のロシアのエルブルース5642m、2003年5月エクアドルのチンボラソ6310mに登った。
3.実際に行く時は、企画会社のツアーには参加せず、個人手配の登山とすること。

チンボラソから帰って、早速アコンカグア行きのための準備に取り掛かった。4人で行く場合と2人で行く場合を想定し、手配会社に見積を依頼した。高所順化の方法としては、ツアー会社が実施しているエルプロモなどの5000m級の山での順化ではなく、直接アコンカグアBCに入りそこで高所順化を行う方法をとることにした。
その結果、最初は4人で行く予定から紆余屈折はあったが、最終的に穂苅康治さん(69入部同期、以下KHさんとします)と2人で行く計画に落着いた。日程は12/20発、1/11成田着の23日間で、手配は(株)アースデスク(以下ED社)に依頼した。
登山の結果は、私は登頂できましたがKHさんは登頂できずに終わりました。
そのあたりの事情はおいおい書いて行きたいと思います。

<写真集>

12月20日、成田→ダラス→サンチャゴ
20日は午後4時にKHさんと成田空港で待ち合わせた。我々は2人であるが、同じ日にED社主催の25日間アコンカグアツアー(8人参加)が出ることになっており、同じ時間の待合せで10人以上の南米行きの登山者が集合することとなった。このパーティのリーダ(添乗員)I氏とは、エルブルースツアーで御一緒したし、もう1人、女性のSさんはチンボラソに一緒に登った仲であり、今日会えるのを楽しみにしていた。
ただ乗る飛行機は別々で、サンチアゴで再会することになる。ED社の9名はシカゴ、マイアミ経由のアメリカン航空、我々はダラス経由のアメリカン航空で、夕方7時過ぎ出発の10分違いで2つのルートがあるということであり、紛らわしいことだ。この日は年末の土曜日であり、切符の手配がなかなか大変だったようだ。

12月21日、サンチアゴ→メンドーサ
無事何事もなく、待ち時間を入れて30時間に近い飛行機の旅を終えて、サンチアゴに朝10時前(日本との時差は12時間)に到着した。着陸直前に天気が良くてアコンカグアも見えていたようだが、席の関係ではっきりとは同定できなかった。
マイアミ経由の9人を待って、ここで合流した。一台の車(15人乗)で3500mのチリ/アルゼンチン国境を越えて、一度アコンカグアを眺めてから入山許可をもらうためにメンドーサまで行くことになる。
急な坂を登りだすと、国境も近くなり、峠を越えた先にあるイミグレーションのところで、入国手続きの後、昼食となった。峠の屋外茶店という感じの所で、その場でサンドイッチのオーダをして、出来上がりのパンにコーラの立ち食いのスナック昼食。
ハイウエーを下りだすと、左手にめざすアコンカグアが谷の間から顔を出す。そこで車は一旦停まり、写真を撮り又出発する。次に、明日宿泊予定のホテルが右手に見えてくる。そこを通過するとあとは特に見るものもなく、みんな寝ている間に、夕方6時頃メンドーサのホテルに到着した。夕方6時頃といっても、南半球のここではまだ夏の真っ昼間で暑い。アルゼンチンの標準時より西にある関係で、だいたい2時間位、日の出、日の入り共に遅いと考えれば納得できる。
このホテルで現地ガイドと顔合わせすることになっているが、なかなか来ないので、チョットあせったが、8時にやっと現れた。マウリシオという名前のガイドで、25才というからまだ若い。9時過ぎまで打ち合わせ、明日の予定を確認した。
その後、彼が推薦したレストランに食事に出かけたが、これが何と2年前に来た時に昼食を食べた同じ店だった。店員の顔を覚えていたし、サッカーの話題で盛り上がったのを思い出した。ビール、ワインにオードブル、スパゲッティーなどを食べて2人でUS23$、やはり安いと感心する。

12月22日、メンドーサ→ペニテンテス
ガイドの属する会社は、インカ・エクスペディションといい、まずそのオフィスに行き、社長(名刺には、head Guideとある)のセバスチアンから説明を受けた。要するに、契約内容の確認だ。ED社を通じて依頼した内容が間違いないかどうか。すべてOKと答えた。持参した日本食は現地食とだぶっているが、どっちみち大した金額でないのでここでは言わないことにした。
次が登山申請。公園の中にあるParque Provincial Aconcaguaで300US$を払い入山許可証を受け取る。その後、登山用具レンタル店に行った。前日ガイドの装備チェックで、シュラフが引っ掛かった。今年は特に寒いので、1000g以下のはダメという。実はこのシュラフで、C2(ベルリン)で2年前4泊もしたのだと言いたかったが、確かに寒かったし、それも原因であったかもしれない。ガイドの言う通りレンタルすることにした。
高いのか安いのかわからないが、20日間借りてUS90$だった。
スーパーマーケットで買い出しをしてから、12時頃ペニテンテスへ向けて出発した。途中昼食で一度休憩して、4時頃ホテルAyelenに着いた。このホテルは2年前にも宿泊している。多くのエージェントのオフイスが別棟にあり、他の日本からのツアーもほとんどがこのホテルを使用しているようだ。

<アコンカグア全体図>

12月23日、ペニテンテス→コンフレンシア(3300m)
10時に車で出発し、公園入口にあるレンジャーステーション(Guarda Parques 2850m)に立ち寄る。入山許可証を見せゴミ袋を受け取る。
オルコネス湖、オルコネス橋でアコンカグアの写真を撮りながら、また途中でガイドの作ってくれたサンドイッチの昼食を食べたが、2時過ぎにコンフレンシアに到着した。3時間かかってないから、かなり早いと思う。
隣のテントに三重のS大学の3人組がいた。1日早い入山で、今日プラザ・フランシアを往復してきたようだ。でも帰ってくるのが夕方になり遅いと感じた。

12月24日、コンフレンシア→プラザ・フランシア(4200m)往復(高度順化)
9時に出発して、プラザ・フランシアの手前にある南壁ビューポイントまで高度順化のため往復してきた。往きは3時間で到着した。南壁を見ながら昼食を食べ、ガイドからルートの説明を聞いた。フランスルートにスロベニアルートなど、長谷川恒男氏が登ったのはどのルートだったかは覚えていない。
帰りは3時すぎにテント場に戻った。下り2時間、これも標準タイムより早い。小人数だし、ガイドも歩きが早い。我々を試していることもありそうだ。
今朝、S大の3人は一時下山したと聞いた。1人女性がいたが、その人の体調が思わしくないとの話だった。昨夕の戻りが遅かったのも、うなずけた。
我々2名はパルスオキシメータの酸素濃度SPO2の値も問題なし。(SPO2:92)
今夜は、クリスマスイブで、夕食時にシャンペン、ワインで乾杯した。夕食の後キャンプのスタッフは大分騒いでいたようだ。夜は2、3時間おきにトイレに起きるが、その度に星がきれいに輝き、明日の晴天を約束してくれている。

12月25日、コンフレンシア→プラザデムーラス(BC、4230m)
今日はBCまでの長い単調な道のりだ。8時半出発。
まず南壁からの支流にかかる橋を渡り、支尾根を越えて本流側へおりるのだが、その登り口が数日前の雨のため決壊したとかで、道が一部分なくてかなりの急坂を攀じ登らされた。本流側へ下りてからは広い川のそばを歩き、大きい赤岩Piedra Grande Coloradaで最初の休憩。その後は、川に沿って右方向に徐々に回り込んでいく。その右側支尾根側に通過のむつかしい個所があり、一度右岸に渡り、又、左岸に渡り返す必要がある。その場所が渡渉になる。本流を渡る個所は、ダブルストックを長くして、両手で川の真ん中につき対岸に飛び越える。何とか濡れずに渡れたが、靴を脱いで渡っている人もいる。
最後にモレーンの上に出るため川から離れて急坂を登りきると、そこがプラザデムーラスのベースキャンプだ。一大テント村が出現する。17時前BC着。
涸沢を大きくしたような場所で、三方に山が見える。東にアコンカグアの西壁が圧倒するようなスケールで覆いかぶさり、そしてC1へのすべり台のような傾斜の登路を挟んで、北に雪を抱いたクエルノ峰(Cuerno角の意味、5462m)、西北にオルコネス峰(Horcones、5395m)西にカセドラル峰(Catedral、5335m)ボネテ峰(Bonete、5100m)と続く。(SPO2:85)

12月26日、休養日
今日は1日休養日にあてる。
朝食のあと高所食についてガイドと打合せする。我々は日本から高所食を5日間分用意してきた。これは事前に伝えていなかったので、彼は現地食で全部用意してきているので、余分なものを除く必要がある。現地食を見ると缶詰などの重そうなのの多いこと。それらを除いてもらう。我々も再度1日分毎に袋に入れ直しする。
その段階で1つ予定が狂ったことがある。お湯を沸かすコンロだ。前回はガスコンロで、各テント毎で2人分ずつお湯は沸かした。そのつもりでいたのであるが、ガイドは、ガソリンコンロで3人分のお湯を1つのコンロで沸かしたいとの意向。テントは2つであり、我々はお湯を沸かしてもらい、それを受け取る事になる。2コンロにしたくないのは、重さよりも危険性を考えてのようだ。プレヒートが必要で、ノズルの詰まりも考えられ、取り扱い不慣れによるテント事故など考えると、我々も寒い高所で手仕事になるのはノーサンキューだ。1コンロでガイドにすべてやってもらうことにする。
食料分配を終え、3時頃から30分の距離にあるホテルRefugio Plaza de Mulasに2人で散歩に行った。ちょうど良い距離にあり、アコンカグアの景色もテント場とはまた少し違ったアングルから見ることができ、なかなか良い景色が見られる
テントへ戻って夕食後、クリニックに行く事にした。下痢の薬をもらうためだ。生水を飲んだためではないかという診察だった。錠剤を2錠いただいた。この薬で私の下痢は翌日に止った。(SPO2:85)

12月27日、BC→C1→BC
C1ニドデコンドレス(5400m)までの高所順化予定であったが、前日の打合せで、ガイドから徐々に順化させれば良いから一気に行かず、例えばカンビオ(5200m)あたりまでにするとかで良いという話があり、あまりどこまでとこだわらずに出発した。
カナダキャンプ(4900m)を経由して、その上を目指したが、5000m岩付近から風が強まってきて、結局カンビオの手前5120m地点の岩陰で休憩してBCに戻った。
夕食時、今度はKHさんが下痢で欠食するという。夕食後クリニックへ行き薬をもらって飲む。夜9時頃には、我々の横でテントを張る人がいる。朝起きて聞いたところ一度下山したS大パーティーが戻ってきたそうだ。(SPO2:88)

12月28日、休養日
KHさんから、下痢は止ったが体調があまり良くないので今日C1に登るのは止めたい、との話があり、休養日に変更した。午前中は読書。昼食は、私がラーメンで、KHさんはおかゆ。夕方、KHさんは再度クリニックを訪問して、医者に診察してもらい、下痢止め2錠をもらってきた。(SPO2:89)

12月29日、BC→C1(5400m)
今日と明日は、C1ニドデコンドレスでテント泊してBCに戻ってくる形の高所順化。
10:45BC発、14:30カンビオ5200m着、16:45C1ニド5400m着。
テントを設営する。天気は晴れで良好。C1は景色が良いのでデジカメで写真をパチパチ撮る。アコンカグア西北斜面のグランアカレオが良く見える。この斜面をつめれば頂上に着く訳であるが、ルートは北側から一度東北側へ回り込んで、ゆっくりと徐々に登っていく。その部分のルートはここからは見えない。インディペンデンシア6400mの少し上から始まるトラバースルートとその先のグランカナレータの部分が見えているが、詳細はわからない。雪が少しあるのは見える。(SPO2:87)

12月30日、C1→BC
C1を11時過ぎに出発して、1時にはBCに戻った。
ED社の8人と再会した。彼らはバジェシート(5470m)での順化登山を終えてのBC入りだ。S大パーティーは、また体調不良者がいて、2名下山し、1名だけが残ったようだ。
今日はKHさんと2人でシャワーを浴びに出かけた。1人7US$。お湯は5-10分。明らかに最初のKHさんの方が短く、私の方が長くお湯が出た。ヒゲもその後あわせて剃った。
明日は休養日であり、ローソクを灯して、久しぶりに昔の山岳部の歌集を出してテントの中で歌った。大いに楽しめた。

12月31日、休養日
2003年最後の日は、アコンカグアBCでの休養日。明日正月1日からアタックに出かける。ED社の8人は、今日から高所順化のため、C1(カナダ)に向けて登って行った。我々はすることもないので、彼らの出発準備をずっと見守り見送りをした。
昼食後、日本人パーティーがミューラ(馬)に乗って続々と上がってくる。ツアー会社のパーティと思われた。
20時夕食、ビールで年越し。夜中には花火の音や音楽が騒々しかったが、年越しだから、ある程度は仕方がないと思う。(SPO2:90)

1月1日、BC→C1(ニドデコンドレス5400m)
BCを9時過ぎに出発し、14時前にカンビオ5200mに到着、そして我々のC1ニドには15:30に着いた。周りをみると日本人パーティーのテントが見える。我々のテントは、ポールを抜いて倒してあったので、ポールを差し込み立て直す。今日は風もなく暖かい。(SPO2:78)

1月2日、C1→C2(ベルリン小屋5800m)
今日の行程は短い。朝食が9時頃で、11:35に出発し、1:55にC2に到着した。避難小屋が空いているので、我々は3人であり、早めに小屋に入り込む。奥に3人の寝るスペースをとり、手前でコンロでお湯を沸かす。ポータに依頼したテント他の共同装備も着いていたが、それらは小屋の隅っこにおしやる。
ED社の8人とは、C2ベルリンへの途中で行き会った。彼らは、今日はC1ニドからC2ベルリンにタッチして、BCへ戻る。
19時半頃から夕食。テントより小屋の方が居住性が良く、狭くなくて快適だ。コンロ1個による、お湯、コッフェルなどのテント間での受け渡しを心配していたが、その心配がなくなった。明日は4時起床の6時頃出発予定。21時就寝。(SPO2:80)

1月3日、C2→アコンカグア(6962m)頂上→C2
予定通り4時起床。空には星がいっぱい輝き、半月も明るいが、風がかなり吹いている。この風がこれからどのようになるのか?昨夜、小屋の中で気温を計るとマイナス10度だった。出発は6時10分になった。ライトをつけて出たが、7時頃一服した。そして次に20分位歩いた頃、後ろにいたKHさんがいないことに気がついた。どうしたのだろうか、振り返るとかなり後ろにいる。自分はガイドの後を遅れないようにと前ばっかり見て歩いていたため、少し暗かったこともあるが、気がつかなかった。またガイドも気が付かなかったようだ。直ぐに休憩に入り、彼が登ってくるのを待つ。
10分か20分して彼がわれわれのところまで登ってきた。どおも体調が良くないようだ。下痢気味だったし、胃腸の具合が悪いみたいだ。登頂をあきらめ、下山の意思表示。ガイドがもし具合が悪ければ、BCまで下りて良い、荷物も必要なものだけにして、一部残しておいて良いと言っている。ここで別れることに決った。私は、彼にC2に留まるかBCまで下るかは自分で判断して下さいと言った。C2で留まれば明日の再アタックもなきにしもあらずだが、BCまで下りてしまえば可能性は完全に無くなる。この時点で予備日は2日あった。
ガイドと私は再出発した。私の体調は問題ないが、ただ指先が痛い。歩きながらマッサージした。下の手袋が少し湿っぽいのと、オーバミトンが古い手袋で暖かくない。前回が寒くなかったもので注意しなかったが、こんなに風が吹き、寒いとは思ってなかった。
9時インディペンデンシア5800mに到着。先行パーティーが休憩している。最近はベルリンの上のC3がよく利用されているようだ。Piedras Blancas(6000m)と呼ばれるキャンプ、ポーランドルートから廻り込むルート上の6200m付近など、かなり一般的に利用されているとのこと。平坦地で残雪があれば、水が得られ、テントが張れ、泊れる。先行組はC3からの出発組だ。
9:25インディペンデンシア出発。トラバースルートに入ると、風が一段と強まる。風の通り道になっている。11:40グランカナレータの岩陰の休憩場所に到着。風がさけられる場所だ。行動食を食べて、12:10出発。13時頃ガイドのマウリシオがオーバ手袋を貸してくれた。私の寒そうなのを見かねたのだが、これは助かった。ここグランカナレータは難所と言われているが、雪もなく、ガイドがずるずると滑らない岩の個所を歩いてくれるので、そんなに苦労なくカナレータの上部に出た。左上に頂上が顔を出し、あとは時間の問題だ。それからゆっくりと歩くと、ガイドが後ろを見ろと言っている。後ろに南壁が見えだした。
そして、14:50分、アコンカグアの頂上(6962m)に着いた。頂上は広い。雪はない。十字架が横倒しになっている。それを立てて、自分で持って記念の写真を何枚か撮った。天気は良い、晴れている。風はどういう訳か、それほどでもない。体調も問題なし。後続パーティーが登ってきた。ガイドがBCと無線で交信して、登頂成功を告げている。
直ぐに時間が経過する。ガイドが下山しようと声をかけてきた。15:15下山開始。
17:55、C2ベルリン小屋着。ゆっくりと下りたいのだが、ガイドの歩くのが早いので、3時間かからずにC2まで下山した。
ベルリン小屋には、KHさんはいなかった。BCまで下山したようだ。代わって、小屋には、明日のアタックを目指した個人パーティーの人が4、5人いた。小屋が満員でどうなるかと思ったが、そこはガイドがうまく仕切ってくれた。
ガイドが無線交信で、明日ポータにここまで登ってきて、テントなど共同装備とKHさんの個人装備の一部を持って下るように手配している。(SPO2:71)

<アコンカグア北面概略図>

1月4日、C2→BCへ下山
今日アタックする2組4人の出発準備が遅い。7時頃まで起きない。やっと起きて朝食を食べ、出発準備を整えて小屋を出たのは、8:40頃であった。これで大丈夫なのだろうか?
彼らが出発してから我々も起きだし、ゆったりと朝食を食べた。昼頃の出発を想定していたが、11:40に出発。ポータに持っておりてもらう物をデポして。
ED社の8人が今日カナダに向かう予定であったので、私はガイドと別れて一人、カナダキャンプを目指す。カンビオの下の斜面のところで、一列になって登ってくる彼らを発見し、斜面の途中でうまく出会う。彼らは予定を変更し、C1をカンビオに変更し、C2ベルリン泊で1日アタックを早めるとの話だった。Sさん、Iさんと握手して別れる。
14:30、BCへ下山した。キャンプスタッフと登頂の握手を交わした。早速、昼食。その時、KHさんから2日間の予備日でBCからC1に一泊してのアタックに再チャレンジしたいという話があった。彼の気持ちはわかるが、全く無理な話なのでお断りした。

1月5日、BC→ペニテンテス
今日は最初は休養の予定であったが、夜のテントの中の話ですぐに下山したいということになった。しかしガイドには今朝起きてからの話となったため、出発が遅れた。
BC発11:20。ただ長い道をひたすら歩くことになる。途中に渡渉個所があるためガイドと一緒でないと良い渡渉場所がわからないので、ガイドと三人で黙々と歩く。途中から私が遅れだしたが二人のあとをトレースして行く。
レンジャーオフィスに着いたのは、18時45分だった。ホテルの迎えの車に乗り、19時半にホテルアジェレンに着いた。夕食は、予定の8時に間に合った。ガイドのマウリシオとは今晩が最後となる。彼は、夜にメンドーサに向かう車で帰るそうだ。ビールにワインで最後の夜を盛り上げる。

1月6日、ペニテンテス滞在、休養日
前夜にクリーニングを依頼して、汚れた衣類を洗濯してもらった。
予定変更によるホテル代を、エージェントに支払い、クーポン券を受け取った。「インカ」はなかなか商売上手だ。ペニテンテスのホテル代が24US$、サンチャゴが40US$だった。

1月7日、ペニテンテス→サンチアゴへ移動
予定通り、10時前に迎えの車がきた。二人しか乗らないので、乗用車が来た。乗り心地が良いのはありがたい。運転手のおじさんは、良く慣れている感じで国境通過もスムーズで(少しチップを渡す)要領よく通過した。
13時にサンチアゴのホテルに着いた。3時間で着いたのには驚いた。普通は1日仕事になる。昼食には、日本料理店の「金太郎」に行く。前回から知っていて、ホテルから5分程度と近い。タンメンにビールを注文した。
夕食は「地球の歩き方」に載っていたフォークロアショーに予約して出かけた。

1月8日、サンチアゴ市内観光
最初から予定してあり、料金は支払い済。どこへ行くのか相手任せにしていると、オイギンス公園、Club Hipico競馬場、大学街を通過して、独立広場、モネダ宮殿などへ行った。
夕食は、再度「金太郎」。

1月9日、夜サンチアゴ発→マイアミへ
今日は帰る日だが、出発は夜なので、午前中は散歩がてらサンタルシアの丘へ出かけた。市街が見渡せ良い場所だ。昔スペインが植民地支配のために入って来た時に要塞を築いた場所である。午後は休養。ベッドで横になってテレビを見たりシャワーを浴びた。
夕方部屋をノックするのでドアーをあけると、ED社のIさんだった。今日戻ったそうだ。8人中7名登頂できたというから大成功だ。
20時、迎えの車で、S大の3名と一緒に空港に向けて出発する。
22:50発AA912便マイアミ行きに乗り、シカゴでまた乗り換え、成田へ向かう。

1月10日、マイアミ→シカゴ→11日、成田着
シカゴは雪の滑走路だった。夏のサンチアゴから冬のシカゴに着いた。
そして、シカゴからのフライトでは、右側に白く美しいマッキンレーをはじめアラスカの山々を眺めながら、又、ベーリング海では神秘的で美しい凍った海を眺めることができた。
長い飛行機の旅を経て、成田に到着し、今回のアコンカグア登山は終了した。

今回の登山の感想
富士山トレーニング、外国の6000m級登山ともに効果的であったと考えています。
KHさんの場合、日本では3000mの高所にいて慣れているから大丈夫かなと考えたのですが、結果的にはそれ以上の高所には慣れていなかった(キリマンジャロには登っているが)。高所に対する個人差があるのでなんとも言えないが、高所登山に慣れる必要があると思われる。(前回の自分がそうであったように)
エージェントとしては、「インカ」は良かったと思う。ムーラの手配、ポータの数、レンジャーとの応対など(前回C2に荷物が届かない、遅れるなどのトラブルがあった)。今回のガイドはまだ若く、改善すべきところもあるが、まずは合格。
反省としては、寒さ対策に油断があった。前回が暖かかったので、オーバー手袋、羽毛服など、次の機会は要検討です。

今後にむけて
今回のアコンカグア登頂で、一通り目標に区切りをつけることができた。
次に、マッキンレー、チョーオユ、エベレストへの道もある。今の時代は、エベレストまでツアー会社が扱うようになり、お金と時間があれば、そして本人がトレーニングなどの努力をすれば、エベレストに登れるようになったのは確かである。しかし、何分、今そのどちらもない。又、今回以上に苦労し時間をかけて登る対象として、余り魅力を感じなくなってしまった。もっと自分にふさわしい登山があると思うのです。
海外では、ピコデオリサバ(メキシコ)、デマベンド(イラン)、ツブカル(モロッコ)などのような4000-6000mの各国最高峰などの山に登ればよい(同時にその国を知る)という気持ちと、中央アジアなどの自分にとって未知の魅力に富む場所にトレッキングで行ければと考えているところです。

以上