2004―10―29

崑崙山脈偵察報告

伊藤 寿男(1959年入部) 記

1  期間:   2004年9月15日〜10月7日

2  メンバー: 前田 栄三(リーダー 1964年入部)
        泉谷 洋光(1964年入部)
        西田 八洲男(1964年入部)
        伊藤 寿男(1959年入部)

3 行動記録:
   9/15 成田――北京――ウルムチ
   /16 ウルムチ
   /17 ウルムチ――カシュガル
   /18 カシュガル――イエチェン
   /19 イエチェン――アカズ峠(3300米)――クデイ
   /20 クデイ――-セラク峠(4900米)――マザ――ヘイカ峠(4950米)―― 三十里営房――大紅柳灘
   /21 大紅柳灘――奇台達坂(5100米)――アクサイチン湖往復――大紅柳灘
      往き復り時に、目を皿のようにして新蔵公路沿いに意中の山を物色
   /22 大紅柳灘手前の谷より6000米峰偵察(車が奥まで入れず途中でgive up)
      再び奇台峠を越えBC(5240米)へ
      前田体調不調
   /23 前田回復せず、山中のリーダーシップは伊藤がとることとする。
      前田を軍の診療所のある大紅柳灘まで西田をつけて白車で下ろす。
      伊藤、泉谷、バートル(通訳)で、6000米峰群谷に入る。
      周りの山群で最も高い6345米峰を、高度、アプローチ、難易度、山容等を勘案、我々の目指す山と決定。
      5465米にAC設営。
   /24 伊藤、泉谷で5825米まで登ってルート偵察。
      前田が心配なため、打ち合わせどおりACを撤収しBCへ。
      西田からの緊急伝言無く一安心。
   /25 伊藤、泉谷、バートルで6000米峰群谷奥にある6000米峰3峰を偵察。
      いずれも登れそうであること確認。
      BCに帰幕すると西田の伝言を持った白車が上がって来ていた。
      『前田の容態はimproveしていない。出来るだけ早くイエチェンに下ろしたほうがいい』と。
      BC撤収――大紅柳灘へ
   /26 大紅柳灘――クデイ 
      前田は昨日から回復した由であるが無理は禁物。所期の目的も達したので大事を取って早めに下りる事にする。
   /27 クデイ――イエチェン――ホータン
   /28 ホータン
   /29 ホータン――ニヤ
   /30 ニヤ――タクラマカン砂漠横断――クチャ
  10/1  クチャ――コルラ  
   /2  コルラ――トルファン
   /3  トルファン 
   /4  トルファン――ウルムチ
   /5  ウルムチ――北京
   /6  北京
   /7  北京―-日本

4 対象の山について:
   我々の年齢と実力にふさわしい、6000米をちょっと越す、風格のある「白き、たおやかな未踏峰」を見つけに崑崙山中に分け入った。
   結果は、「白きたおやかな」にはやや難あるが、それに近い風格のある山を見つけてきた。 概略は次のとおり。

1.アクサイチン湖の北方に位置する高さ6345米の未踏峰。周りにある6000米級の山々より高い。
2.雪線は、9月末で5800米。ここまでは緩やかな傾斜で、今回もここまで登った。
3.5800米より隆起しており、北西面から見ると、9月末現在、左側2/3が雪の斜面、右側1/3が岩屑と雪のミックスした丸い稜線。上部で左側の雪の斜面と合流している。合流点よりは山全体が雪面となり頂上に到る。
4.頂上はなだらかで南北に長く、下からは何処が最高点か判断不能。
5.見た限りでは、右側の岩屑と雪のミックスした丸い稜線ルートか、左の雪面ルート。雪の状態如何で難易度が異なる。今回のようにカチカチであれば、要所にフィックスザイルが必要な、相当手強い山になる。
6.雪の状態のいい7月中旬〜8月中旬が好機となろう。
7.約5,200米のBC予定地からは、ロバ、らくだ、地元のマンパワーなどは望むべくもなし。荷揚げ、ルート工作などすべて自分たちの手で行わねばならない。

偵察時の情景、6,000米の未踏峰を求めて
6,345米峰
ACテントより東方の未踏峰を望む

以上