岡山の山を登る会2005

 秋の恒例、岡山の山を登る会は去る10月29及び30日に開催された。この会は'97年岡山の名峰那岐山の山行から始まり今年で第9回となる。参加者も毎年20名以上の盛況な山登りと語らいの会に成長、今年も斉藤Y・中島ダンナ・井上トッキュー・寺本ショーチャン・平井ポコ・青野オンビキ夫妻・酒井オシメ・左右田ガンコ・松井サルタン・藪内ラショー夫妻・新井夫妻・内山ヌケサク・川崎アワモリ夫妻・高村デルファ・川嶋オレッチ・潮崎パイマン・高野ゴジラ・井関・宝田ホーデン・野村オド・福嶌ビーバーの計25名の大パーテイーとなった。
 挑む山は、兵庫県との県境に連なる駒の尾山(1,281m)から船木山(1,334m)までの縦走、オプション計画としては更に船木山から後山(1,354m)の往復とした。
 今年は、参加者の今後の老齢化に備え、車の長距離運転は避けて岡山への行帰りは原則公共交通機関利用として最寄の駅に集合し、山へのアクセスは地元で専用バスを調達する事とした。その結果下山は入山と同一場所である必要がなくなるので、初めての縦走形式を採用すると共に、参加者夫々の体力に応じて緩い本計画と余力がある人のためのオプション計画を作る事が出来た。
 かくして恒例10月最終の週末29日、朝からの雨も小止みになった午前11時40分、大部分の人が乗る特急白兎が遅延のため40分遅れで、智頭急行(JR山陽線上郡と因美線智頭を結ぶ三セク線)大原駅に全員集合。直ちに現地調達の専用バスで若杉原生林登山口に急行した。第一日目は足馴らしのため、昼食をはさんでの約3時間のトレッキングである。この地は樹齢300年近いぶな・楢・楓・橡・杉など植林を入れない保存原生林で、林間に作られた遊歩道を歩きつつ会話と森林浴を楽しむ事が出来た。午後3時半には登山口に帰着。帰り道、古代製鉄に造詣の深い川崎の案内でタタラ遺跡と天野屋利兵衛隠住跡を見学、4時半には今夜の宿場の粟倉温泉「あわくら荘」に。入浴後は斉藤Yさんの挨拶により夕食開始。その後は例によって川崎持参の赤穂名産しゃこを肴に酒盛りが深夜まで続き、井関、野村の元鉄屋に川崎が加わっての鉄談義や、AACK Newsletterに掲載中の平井によるAACK人物抄が今年の特別な話題であった。
 10月30日は予想通り朝から晴れ、午前8時半バスで宿を出発し駒の尾山登山口着は9時。折から色付き始めた林間の坂道を、カサカサと落葉の音を立てつつ歩く風情は秋そのものである。緩やかな尾根道をたどる内に、10時半頂上に到着。全員で記念撮影の後、後山まで歩く組が先発した。早歩きで11時過ぎ船木山通過。後発隊は県境尾根をのんびり歩いたが船木山着では僅か10分の遅れ、それではと薮内とご夫人3名が後山へと先発隊を追い駆けた。先発隊は後山山頂12時着、後発の追い駆け組も追いついて全員16名で岡山県の最高峰、後山からの眺望を楽しんだ。船木山に戻り後発隊と合流、昼食を終えたものから2組に分かれて下山。急な坂道に膝の負担に耐えつつ、午後1時半過ぎには全員下山、出迎えたバスで再び「あわくら荘」へ帰りついた。温泉で汗を流した後、解散前のビールの乾杯。これも公共交通機関利用の余得か。予定のコースを踏破した満足感に座は大いに盛り上がり、最後に中島ドクターから、「65歳を過ぎたら、山中での転倒防止のためストックは2本使用を推奨」とのご発言を最後に解散となった。
 さて会員の皆さん、現在のこの会の世話役は寺本幹事長を中心として川崎・高村・潮崎が当っています。来年も10月下旬に第10回を予定しておりますので、今後ご案内などメールをご希望の方がおられればご連絡先アドレスを寺本までお知らせ下さい。多数の新たなご参加を歓迎致します。
 寺本連絡先 teramoto@c.oka-pu.ac.jp

07.11.27. 潮崎パイマン記