『川旅 シーンジェック』

寺島 彰

 極北の寒村アークティック・ヴィレッジ を飛び立ったチャーター機(セスナ185・スカイワゴン)は、ブッシュ・パイロットKirk Sweetsirの操縦によって、ブルックス山脈の山あいを縫うように飛び続けている。眼下の谷間には、たおやかなツンドラが既に夏の盛期を過ぎた淡いベージュ色で広がり、その中を小川が蛇行しながら流れ、トウヒが疎らに生える。
 一方、機の左右には2000メートル級とはとても思えぬ山々が地層を鮮明に浮き出させ、その侵食の進んだ荒々しい岩峰をむき出しにしている。そんな予想もしなかった光景のコントラストに息を呑み心を奪われている内にも、セスナはシーンジェック上流へ向け谷を詰め山越えに入った。
 アラスカで川旅を、という衝動に突き動かされたのは2001年春、やはりアラスカの北極圏に向かう小型機から、広大な雪原に白くうねる結氷した川面のパターンを見下ろしていた時だった。まるで生きているかのように蛇行する氷の帯は、余りに新鮮で美しかった。その時以来、アラスカでの川旅というイメージに取り憑かれてしまったのである。その夢が今、AACKから助成を受けるという幸運にも恵まれて、ようやく実現した。
 分水嶺を越えたセスナは、シーンジェックの支流の1本を下流に向け滑らかに辿りながら、やがて本流上空へと侵入した。谷巾が一気に広がり、河床の一部は盛夏を過ぎても、いまだ氷床に覆われている。そして川辺に広がるツンドラでは、何とグリズリーが散歩しているではないか! 次々に繰り広げられる思わぬ展開に気持ちが昂まっていく中、機体を大きく傾けながら旋回降下したセスナは、急峻な山から押し出された小さな扇状地のDrop-off地点に、こともなげに着陸した。

写真1
Drop-off地点にて。Bush PilotのKirk Sweetsirと、荒れ地でも離着陸できるように極太バルーンタイヤを履いたセスナ185。乗員とも4名乗り。
写真2
Start地点付近。これでも上流。セスナがUターンして離発着できるほどに大きく開けて、実に伸びやかな感じのする谷だ。
写真3
Double Mtn.(2057 m)。Google映像にチルトを掛けて、試す眺めつ3D視していた時には簡単に登れそうに思えたのだが・・・、想定外の急勾配斜面と、岩峰ぶりに驚く。麓で見かけたグリズリーのこともあったので、登山は諦め、川下りに集中することにした。
写真4
Double Mtn.東側、緩勾配の広い河床では流路が編目状になっている。そしてその一部には、この時期になってもまだ溶けきれてない氷床が、厚さ約1mも残っている。

(1) シーンジェック
 北極圏野生生物保護区というその名前を聞くだけでも思わず身震いしてしまうほど魅力的な地を流れるシーンジェック。最源流はブルックス山脈東部のロマンゾフ山域にある氷河。この山域で最も高い山ミカエルソンでも2698メートル、ロマンゾフでも2572メートルという標高しかないのだが、そこは北極圏。しっかりと氷河を発達させた立派な山々である。この氷河を源頭に発したシーンジェックは、グレイシャーミルクによってやや白濁しているもののそれは上流だけで、普通の水位ならば支流を合わせる程に透明度も上がって美しい川になる。そして約510キロを流れ下り、フォートユーコン付近で大河ユーコン川に合流する。
 日本の約四倍、約152万平方キロの広大な地アラスカには多くの川が流れ、その総延長は約五九万キロとも記載されている。そこには主要一二水系が挙げられているが、これらの中で最も大きなのが大河ユーコン水系である。
 今回アラスカで川を旅する以上、日本では組めないような長い川旅を目指した。つまり、日本ではいくら長く下ると言っても、それは十勝川の3泊4日であったり、釧路川の4泊4日。そこで、少なくとも10日以上の川旅という観点から「ALASKA RIVER GUIDE」(K.Jettmar1993、Alaska northwest Books)に記載されている78本の川を検索したところ、挙ってきた候補の一つがシーンジェックだった。
 もっとも、本当のことをいえば、シーンジェックを下ってみたいという気持ちは、検索する前から決まっていた。それは、写真家でありエッセイストでもあった星野道夫の書いた「ノーザンライツ」(1997、新潮社)に「約束の川」として紹介されている文章があり、それを出版当初に読んで以来、魅かれていたのである。
 アラスカの川としては、ノアタック川・アラトナ川・ワイルド川・ジョン川などブルックス山脈中西部の川はそれなりに日本の関心あるカヤッカーの間でも知られている。しかし、東部のシーンジェックとなると、アラスカの人々の間でさえも、知る人ぞ知る川になる。つまり今回の川旅では、シーンジェックを旅する事自体が大きな目的になったのだが、ただ折角そこまで足を延ばすのであるから、ツンドラの大地に生きる様々な生き物達にも出会いたいと思っていた。とりわけ、アークティック・グレイリング(Arctic Grayling)は是非見たかった。そして、それは単に見るだけではなく、この手で触れ、さらには味わっても(!)みたかったのである。もっとも、これらがどこまで叶うかは別の話、としてではあったのだが・・・。
 このような経緯で準備を進めていく中から、川旅のイメージが次第に輪郭を明らかにし始め、現地在住の知人を通しても情報収集を進めている中、AACKから『海外登山探検』助成決定の嬉しい知らせも舞い込んで来た。さらにブッシュ・パイロットKirk Sweetsirとのメールによるスケジュール調整などを経ながら、計画が固まった。
 川は、北極圏国立野生生物保護区(ANWR)を流れるシーンジェック。関空出発は2006年8月3日。アンカレッジからフェアバンクスまでは、アラスカ鉄道。そこから定期便(10人乗り・セスナ208Bグランドキャラバン)でアークティック・ヴィレッジに飛び、チャーターフライトに乗り継ぐ。そして8月10日、ダブルマウンテン(標高2057メートル)北東の扇状地(標高844メートル、N68°50.01′,W143°33.06′)のDrop-off地点まで、直線距離にして約120キロを送ってもらう。迎えのPick-up地点はシーンジェックとその支流コニス川との合流点(標高361メートル、N67°44.58′,W143°43.42′)。この間(漕行移動距離290キロ)を二週間で単独漕行。そして8月25日、合流点からフォート・ユーコンまで直線距離にして約140キロを再びチャーターフライトで飛び、帰国は8月31日。という計画である。

図1
地図中略語、ANWR:北極圏国立野生生物保護区(Arctic National Wildlife Refuge)、ANC:Anchorage、FAI:Fairbanks、FYU:Fort Yukon、ARC:Arctic Village

(2) 川旅
 清流シーンジェックの筈だった。ところが様子がおかしい。確かに、「今年のアラスカは夏らしい晴天がなく、雨が多い」というメールは届いていたのだが、これほどとは思わなかった。アンカレッジでもフェアバンクスでも毎日雨がち。それが川に入ってからも続いている。
 もっとも、雨自体に対しては決して陰鬱になるものではなく、ゴアテックスの上下雨具をしっかり着込み、つば広の帽子を被ってしまえば、雨のパドリングもなかなか乙なもの。「これが、北極圏のパドリングだ」と思うと、ガスに煙って周囲に流れる水墨画のような風景も実に風情がある。しかしながら上流の水がグレイシャーミルクの影響で灰色がかるのは良いとしても、下るにつれて流れ込む土砂の影響で水は茶色に濁り始め、清流どころか濁流である。
 それだけならまだしも、当然のことながら降雨により水位が上がる。そしてこの水位上昇とは、川下りの観点からすれば、平常水位時には穏やかな川も急流となり、川面の状況が豹変することを意味する。
 それにしても、水位は日々上昇し、夕方に船を岸に引き揚げておいても、翌朝には水深40cmの水面にプカリと浮かんでいたことも。また時には前夜の焚き火跡も水没し、水面には灰と炭が焚き火跡そのままの形で浮かんでいたりした。
 このような状況であるため、テント場によっては、いつでも脱出できるように予め不要な荷物を舟に積み込み、テント内には必要最小限の荷物だけで寝たこともあった。
 川面はどうかというと、上流域の方が川床勾配が緩いのか、のんびりした川下りを楽しめたが、中盤からは相当に激しい早瀬が頻繁に出現するようになった。水温は五度Cと極めて冷たいため、「沈」すると、その結果が厳しいことになるのは目に見えている。
 川は予想以上に規模が大きく、増水により中盤以降は流れ巾で30〜40メートルもあり、そこへもって来て、見たこともないような大きなボイルがいくつも沸き立っていたりする。相当早い流れが川底の大岩に当たっているのだろう。漕ぎ渉る上で危険はないものの、あまり気持ちの良いものではない。
 また川幅一杯にストッパーだらけの荒瀬を、力負けしないようにガンガン漕いでいる時には、余程前方に注意しなくてはいけない。というのは、所々に、とりわけ大きな波が上流側に逆巻く牙を剥いているからである。この水中の大岩によって波頭が砕けるストッパーは、当然同じ場所で発生しているわけだが、流れに乗った船から見ていると、まるでジョーズが大きく口を開け、こちらに突進して来るかのような錯覚すら与える程の迫力がある。
 もちろんこうした大波は当然避けるべきなのだが、ある時、「避け切った」と思えた瞬間に、全く予期せぬ後方からの強い流れによって一気に押し戻され、その最も避けたかった大きなウエーブのストッパーが眼前に迫ってきた。もはやその時点で回避する選択肢はなく、ましてや漫然と当たれば小さなリンクスなど一溜りもなく引っくり返されてしまう。これは反射的に強い一掻きで勢いを付けると、そのまま大波に思い切りパドルを突き立て、かわし気味に波を被りながら全力で乗り切った。
 これも、我が愛艇リンクスがセルフベイラー(自然排水)構造を備えたダッキーという激流対応の船であったからこその事で、リンクスに感謝。
 このようにパワフルでボリュームのある濁流シーンジェックはツンドラの原野をそれこそ自由奔放に流れ下り、当然のことながら、そこには護岸工事などというものに縁がない。つまり、屈曲部の外側は流れによって浸食が進むのだが、その結果、それこそ数百年、イヤひょっとすると千年近くに渡って堆積してきた蘚苔類や地衣類の厚いツンドラマットが川へ崩れ落ち、また厳しい年月を生き長らえてきたトウヒが川へ倒れ込むことになる。その今にも崩れ落ちそうなマットには、ベア・ベリーがそれでも赤く丸い実をころころと稔らせ、足元を洗われ斜めに傾いたトウヒは、倒れまい倒れまいと必死に踏ん張っている。
 ところで、そのような浸食を受けてむき出しになった土手の断面を良く見ると、ツンドラマットの下の土砂層の中から握りこぶし大の丸石が多数顔を覗かせ、下部の石は既に水で洗われて光り始めている。これらの丸石は、そこが大昔、古シーンジェック川の河床であった時に、研磨されつつ運ばれてきたものに間違いない。それが今、長い地中での眠りから醒めて、再びシーンジェックの川石として復活し流れの中に戻ろうとしているのだ。
 一方、屈曲点内側では逆に堆積が進み、その水辺前線には早くもヤナギの幼木が根付き始め、ローズヒップが真っ赤な実を艶やかに光らせていたりする。と同時にそこは川石が土砂に埋まり始め、いつの日にか再び甦る日まで眠りに就く場でもある。
 ことこのように、屈曲点の外側と内側とでは、「浸食」と「堆積」、「死」と「生」、「復活」と「眠り」といった相反するものが常に同時進行している。屈曲点毎に繰り広げられる輪廻転生。個別に見れば、それらは別に目新しい発見でも何でもないのだが、その現場に二週間もの間身を置き、それらのイベントを毎日繰り返し繰り返し目撃していると、まさに『川は生きている』ということが実感として認識されるようになってきた。
 これまで随分沢山の渓流・河川を見て来たが、このような感覚を得たのは初めてだった。日本やヨーロッパでは人手の加わった川だったり、ヒマラヤ・チベット域ではありのままに流れる川も数多く見て来た。しかし、そうした経験を通しても、川に対して抱いていた認識とは、有機的な生命体の「生活の場」としての「川」、「無機的環境」としての「川」であった。しかし、シーンジェックで得たものは『川そのものが生き物』という合理的には説明困難な感覚だった。
 今回の川旅では、増水し流れが早かったためもあるのだろう、足元の崩壊に耐えきれず、遂に力尽きたトウヒがまさに目前で水中へと倒れ込んで行く姿を目撃した。
 この川に倒れ込んだトウヒはどうなるかというと、流れ方向に真っすぐ身を横たえながら流されていく。そしてこれが皆、根の方を上流に、幹の先端を下流に向け、時に幹を軸にぐるぐる回転しながら流されていく。この四方八方に広がった根を、まるで水車のように回しながら流されていく後ろ姿を舟から見ていると、まるで断末魔の身悶えのようにも思われ、何とも異様な雰囲気すら感じさせる姿だった。
 ただ見方を変えると、こうして舟と並走して流されている流木は危険ではない。問題は、岩か何かに流木のどこかが引っかかって、流れに対して横方向に固定されてしまった場合だ。これが一本だけならまだしも、このように流木が引っかかる場所には、時に多数の流木が川幅を広く塞いでいる場合がある。舟は、その横たわった流木の間をジグザグに漕ぎ抜けなければならないのだが、複雑で早い流れの中では相当困難な操船となる。そして・・・、ある時、バックフェリーグライドによる平行横移動の試みもむなしく、遂に避けきれずに、一本の流木に捕まってしまった。
 これが極めて危ない。というのは、横倒しになった流木には、枝の折れ口がまるで刺のように多数突き出していて、これに舟が流れによって強く押し当てられたものには、いくら丈夫な我がリンクスでも穴が開く。リンクスは真横からもろに流れを受け、流木に押し付けられそうになる。それを片手で流木を支えることで多少とも衝撃を和らげながら、かつ転覆しないようにリーンをかける。急流のど真ん中である。船底への水圧を避けるためリーンによって上流側に傾けた舷側からは水が流れ込む。一体これからどうすればこの状況を抜け出せるのか・・と半ば呆然となりながら考えようとするのだが・・
 ところがその時、思いがけない事が起こった。不意に、船尾がフワリと持ち上げられたかと思うと流木から離れ、船首が左回頭し、そしてそのまま流木を回り込むような動きを見せ始めたのだ。何故そのような反応を舟が示したのか、その理由は未だに分からないのだが、直ちにパドルを入れたところ、難なくその流木をかわして流れに乗ることができた。一体、何が起きたのだろう。思い返しても、あの状況は半ば絶望的と言っても良いようなブローチングだった筈なのだが・・、それこそ、まるでシーンジェックに助けられたようなものだ。
 いずれにしても、日々の増水で河相が険しくなった後半は、このような中での川下りになった。そこではなるべく早く障害物を発見して回避したり、または分流している所ではどちらの流れを選ぶのか、そうした方針を平均時速七キロ瞬間最速一八キロで移動し続けている中で速やかに決定し、それに向けたライン取りをしなければならない。視点が低い為に、それほど見通しが利かず、情報を得てからのゆとりが余りないのである。
 こんな具合であるから、一時も川面から目が離せなくなってしまった。もはや、上流域のように漕ぎながら現在地の地形と地図とを照合する暇さえない。ただ、そのスピード感を伴った真剣勝負の緊迫感が何とも心地良い。我がリンクスはラフト特有の身のこなしで流れの屈曲に応じて右岸側から左岸側へ、そしてまた再び左岸側から右岸側へと軽快に渡って行く。
 このような川下りでは、精神的緊張の持続を第一に、瞬発的にはそれなりの腕力も強いられる。そこで、特に注意力が散漫にならないように約三十〜四十分を目処に何とか岸に着けて休憩を取った。それでも約三時間も下っていると、手の平全体が痺れてくる。これは寒さが原因ではなく、圧倒的な存在感を持つ流れの中でのパドリングに、自覚している以上の力を要していることを示しているのだろう。この痺れはマッサージすることで和らぐのだが、余りゆっくり休んでいると今度は寒さで震えがきてしまう。いずれにしても、テキパキと事を済ませなければならない。
 地図とGPSデータから現在地の特定を終えると、小休止を切り上げ、舟を岸から押し出して乗り込み、流れへと入って行く。漕がずともパドルを浸けるだけで、リンクスは『ぐいっ』と引っ張り込まれ、そのまま一気に加速し、シーンジェックと一体化する。
 極北の川旅はスリリングだ。

写真5
8月18日、寒くて目が覚めた。何と、テントやリンクスも、うっすらと雪化粧。初雪だ。来しかたの谷奥を振り返ると、Double Mtn.(2057m)を始めとする山々が真っ白に光っていた。「これぞ北極圏!!」
写真6
激しい荒瀬があるかと思えば、静かな川面の広がる所もある。流速は十分あるので殆ど漕ぐ必要はないが、じっとしていると寒くなる。防寒のため、ゆったりと漕ぐ。
写真7
Brooks山脈の山あいを抜け、極北の大地を流れるSheenjek。この日は午後から晴れ、穏やかで暖かな日差しの元、樹木もしっかり茂った大きな中州へ上陸。とりわけ素晴らしいキャンプ地だった。
写真8
ツンドラ原野。香しいツンドラマットの上にテントを張る。この三日月湖畔には獣道が縦横に走っていたので、休養日中に何か出て来るのでは? と期待したのだが・・・。
写真9
水辺の足跡で一番多く、また目立つのがシカ科最大のMoose(アメリカヘラジカ)。川を下っている最中に、フと視線を感じて岸を見ると、3mもあろうかという個体が岸辺に佇んで、こちらを見送っていたりする。

(3)クマ対策
 最も気掛かりだったのは、やはり何と言ってもクマとの遭遇だった。既にアラスカで入手していたクマ対策パンフレット類や、「ベア・アタックス(クマはなぜ人を襲うか)I・II」(S.ヘレロ著、嶋田・大山訳、北海道大学図書刊行会2000)を参照して対応策を検討したが、特に後者には生々しいクマによる事故の実態だけでなく生態学的観点からの情報も多く、大変参考になった。
 これらの資料から分かったことは、まず基本的に本当に注意すべきはハイイログマ(グリズリー:平均体重390キロ, 時に590キロ)。一方、アメリカ・クロクマは決して獰猛な動物ではないということ。また基本的なクマ対策タクティクスとしてはテント場・調理場・食料保管場所は各々最低でも各々100メートルは離すこと、食料は密封コンテナに収め、テント内では飲食はもちろんのこと食料持ち込みすら厳禁というものだ。更に、クマとの偶発的な遭遇を避けるため、ヒトの接近を事前に知らせる対策が重要とのことだった。
 そこで、川岸への上陸に際しては音を立てて予告を心掛け、また岸辺などに残る足跡には十分注意した。
 結果的には、幸か不幸かDrop-off当日、着陸直前に散歩しているグリズリーを見た以外は、古い足跡を一ケ所で見ただけで終わってしまった。新鮮な足跡を見つけた際には足型を取ってやろうと持参した石膏は、結局使わず仕舞い。

(4)装備(*:現地購入)
 軽量コンパクトに心掛ける、という基本方針は山と同じだが、船の場合は積み込んでしまえば後は船が運んでくれるため、余り厳密にこだわらなくても済むという点では気楽である。しかしだからと言って大荷物になってしまっては前後の移動が大変なだけでなく、船の容量や安定性にも差し障りが出るため、メリハリを付け、厳密に検討を加えた。
 今回の荷物は、リンクス関連装備一式収納バッグ(80cm×80cm)、アタックザック(65リットル)、食料コンテナ(20リットル)の三個に納めた。
 一般的な船の装備/艤装品については一般書(「カヌー&カヤック入門」山と渓谷社、等 )に譲り、ここでは今回用いた数点の装備類についてだけメモする。

1. 船
 ダッキーと呼ばれるジャンルのLYNX-1(AIRE社製・全長3.1m、重量14.5kg、積載可能重量160kg)。ラフティングで使う大型ラフトと同じ材質によって出来た二重皮膜の船体は丈夫で、岩にぶつかっても穴が開く心配は無用。セルフベイラー(自然排水)構造と断面積の大きさから極めて安定性の高い激流対応の船である。ただ、この断面積の大きさから風の影響を受けやすくスピードは余り出ない。一方その造りからして、エアポンプで三気室に空気を入れさえすれば、約15分で組み立て完了。このリンクス本体、座席、PFD(ライフジャケット)、パドル(四分割)、エアポンプ、艤装品小物一式、修理具一式などを全て袋(80cm×80cm)に詰めキャリアーに載せて運搬。漕行中はこの袋にアタックザックや登山靴などを詰めて船尾にしっかり固定した。

2. 地図*
 国際北極圏研究所(アラスカ大学フェアバンクス校)にあるマップオフィスで、多種多様な地図を入手できる。今回はシーンジェック全行程をカバーする地形図を予め入手し、防水チャートケースに入るよう加工した。スケールは二種類(1/63360:1インチ=1マイル, 1/250000 )。しかし、地図は1972年撮影の航空写真を元に作成されているため、川筋の状況など経年的に変化し易い地形については、残念ながら余り当てにできない。

3. Google Earth画像
 地図情報の欠点を補完するため、ネット上に公開されているGoogleEarthの衛星写真を利用した(http://earth.google.com/)。アラスカの場合、アンカレッジなど都市部以外の写真精度は落ちるものの川下りに使うには十分で、グーグル画像により地図を事前に修正した。さらに漕行中は地図と対応するグーグル画像もチャートケースに入れていたが、現地で照合する程に、その情報量の正確さと豊富さを確認した。
 ちなみに衛星写真は逐次精度の高いものへ差し換えが進み、シーンジェックの一部も既に分解能の高いものに更新され、トウヒの一本一本や波立つ早瀬の分布状況すら確認できる。

4. GPS
  視点が川面に近い川旅では、山と異なり展望が効かない。したがって、特徴のある景色が周囲に見える場合や、流れが緩やかで川の地形を随時地図と照合しながら現在地を確認できる場合を除くと、位置確認にGPSが極めて有効だった。
  つまり、GPSは現在地を単に緯度経度で表示するだけでなく、下ってきた軌跡が川筋そのものを現すため、軌跡を地図と照合させることで、位置をかなり正確におさえることが出来る。

5. クマ・蚊対策用品
 「ベア・アタックス」や各種パンフレット等の記載にしたがって、以下の用具を取り揃えた。
食料用密封コンテナ、ホイッスル三種、シグナルホーン*(音量122db、約800m先にも音が届く船舶用警笛:FALCON製)、クマ撃退用トウガラシ・スプレー*。
 ちなみに、銃については、「ベア・アタックス」にしたがい、携行しなかった。
 一方、アラスカ夏の川旅名物の蚊に対しては、虫除け*とモスキトーネット*を用意した。しかし、発生最盛期を過ぎていたためか、アークティック・ヴィレッジでブユ共々に悩まされた以外は、殆ど出会わなかった。

6. 焚き火用具
 流木を集めての焚き火は、炊事や暖をとるためにも欠かせない楽しみ。結果的には燃料節約にもなり、BOLDバーナーに使用したホワイトガソリンは一六日間で0.7リットルのみ。また今回用意した木製着火剤*は、雨で流木が濡れていたり川風が強い時でも非常に優秀。防水マッチ*も強力で、金網や携帯ノコギリ共々、実に重宝した。
 ちなみに、9.11以降は特にUSA間を飛ぶ航空機への持ち込み禁止品リストが実に厳しく、ライターはもとよりマッチも駄目。BOLDバーナーや燃料ボトルについても、IATA(国際航空運送協会)指定業者による梱包によらなければ、未使用品以外は持ち込み禁止とのことであった。トラブルを避ける為に、問題が起きそうなものは事前に郵送した。航空便で、往復共に問題なし。

写真10
今回持参した道具類の中から特選の品々。20リットル密封タンクを収めた特注袋は、船首への固定に絶大な威力を発揮。コンパクトなウエダーは、防寒という観点からも必需品。緊急時の連絡方法として、衛星電話とVHF無線機の選択に迷ったが、VHFで正解。

(5)食料
 クマ対策食料用密封コンテナ(20リットル)が、持参できる食料の容量限界。計画当初は、単独行の長旅ということで、一六日間の食料計画は盛り沢山だった。そして食料も逐次購入していたのだが、いざコンテナにパッキングすると意外と入らず、最小限に搾らざるを得なかった。
 結局、アルファ米一日一袋(副食は現地調達の魚だけ)、行動食カロリーメイト一日一箱、パスタ類・餅・ラーメン各少量、調味料一セット、ふりかけ、佃煮、スープ類、コーヒー等をギッシリ詰め込み、そのコンテナを特注の袋に納め、船首に固定した。
 ところで、釣れなかったらオカズはなし、という魚だが、アンカレッジのパブリックランズ・インフォメーションセンターで二週間分のライセンスを80ドルで取得して現地に向かった。
 アラスカの川は、サケ科魚類のオンパレードと言っても良いほどで、キングサーモン、ベニザケ、ニジマス、ドリーバーデン、アークティック・チャー、アークテック・グレイリングを始め、これ以外にも色々生息しているのだが、これらの魚の中で、今回最も見たかったのはアークティック・グレイリング(Thymallus arcticus arcticus)だった。
 この魚は、冬期に川が結氷して水中の溶存酸素が極めて低下し、他の魚が生息困難な環境下でも生息できるという適応能力を持った美しい魚。この低溶存酸素環境下でも生息できるという点では、ヒマラヤ・チベット地域の高所にまで適応分布し、私が新種記載したこともある裂腹魚亜科の魚と共通する特性を持っている。そうした背景もあって、是非見たかった。
 この切望していたアークテック・グレイリングは、Drop-off地点から1日下った氷床の残る上流域で、早速釣り上げることができた。釣り上げた喜びだけでなく、サケ科とはとても思えぬ大きな背鰭と、美しい鰭模様、そして上品な顔付きに、しばし見とれてしまった。
 ただ釣りの対象としてグレイリングを見ると、つまらなく感じる人もいるだろう。それはアラスカの人々が所謂サーモン類を高く評価し、同じサケ科魚類であるにも拘らずグレイリングを雑魚扱いしていることとも関係していると思う。何故かと言えば、いとも簡単に釣れてしまうから。
 今回釣り道具としてはルアーと毛針を用意していたが、増水による濁りのためルアーが使えず、結局透明な小河川との合流点付近で毛針を用いての釣りになったのだが、これでグレイリングには十分。そして、グレイリングしか釣れなかった。
 釣り上げたグレイリングは、もちろん貴重な食材であり、「造り」「カルパッチョ」「煮付け」「塩焼き」「クリーム煮」等々、色々楽しんだ。中でも油の乗った「煮付け」は絶品で、身もさることながらスープの旨さといったら、一体どこからこのような旨味が出て来るのだろうか、と思わせるほどのものだった。

写真11
貴重な食材Arctic Grayling。いくらでも釣れるが、Grizzlyを招いては大変なので、夕食に食べ切れる分だけを釣る。

(6)Pick-up
 問題はPick-up。その地点は、シーンジェック川とコニス川との合流点。そこへ25日にKirkが迎えに来るのだが、合流点はいくら何でも分かるにしても、滑走路の場所が特定できるかどうかが最も気掛かりだった。そこで、前もって合流点付近のグーグル画像をKirkに送り、滑走路などの情報を書き込んで返送してもらっていた。これさえあれば安心である。
 Pick-up地点へは、増水による危険性を少しでも軽減するため、最後の3日行程を2日に短縮して、多少飛ばし気味にして向かった。
 さて問題のPick-up地点が、いよいよ近づいてきた。相変わらず流れは早く、川面から目を離せない状況が続くため休憩の頻度を上げ、あと3回の左屈曲点を過ぎた先に目的地という所から最後の一本に漕ぎ出した。約二週間前、Drop-off地点を出発した時は前途延々と思われた川旅だったが、それもこれで終わりなのか・・と思うと、シーンジェックを愛おしむかのようなパドリングになる。
 やがて1回2回と左屈曲点を過ぎ、いよいよ3回目の屈曲点が見えて来た。これを越えて右カーブに入ったところに船を着けて上陸すれば滑走路末端が見つかる筈だ・・・。
 その時、「!!! 一体、何だ!!」 それは左前方の水中から突き出て、青いテープをヒラヒラさせた一本の棒だった。尋常ではない。ここは、兎にも角にも船を止めなければならない。周囲の状況から、直ちに流れを思い切り突っ切り右岸から流れ込んでいる分流とのエディーに入り、先ずは船を岸に揚げた。
 青いテープをヒラヒラさせた棒は、約50m先の左岸だ。ここは落ち着かなければならない。おもむろに、とっておきの飴を口に含み、ポカリスエットを飲む。
 さて、何をさておき、現在地確認である。先ずGPSに緯度経度を表示させると・・、何と、秒単位でここがPick-upポイントであることを示しているではないか! 一体どういうことなのか? 半信半疑ながらも、今度はGPSに軌跡を表示させ、地図やグーグル画像と慎重に照合する。スケールを切り替えながら繰り返し照合する。
 その結果、ここからコニス合流点は見えないものの、誤差約50mで、やはり対岸がPick-upポイントらしい。さてそうすると、今度は対岸に渡らなければならないが、この急流だ。そこで岸沿いに出来るだけ上流側へ船を引っ張り上げ、そこから左岸へと漕ぎ渉ることにした。幸いな事に、流れは早いものの険悪な場所でなかったため一気に漕ぎ渉り、そのまま青テープ棒の立っている分流へと入り込んで舟を着け、一息ついた。
 ただ、一応到着はしたものの、滑走路を捜し出さない内には、ゴールしたという実感に浸るにはまだ早い。不安と期待の入り交じった感じを抱きながら上陸すると、何のことはない。直ぐ砂地に数名分の足跡を発見。2週間振りに感じた人間の気配だ。足跡は中州の奥へと向かっている。これを辿れば滑走路に行き着くに違いない。辿るにつれ途中からはバギーの轍すら出て来た。飛行機から降ろした荷物を岸辺まで運んだのだろうか? いずれにしても、その微かに残る足跡と轍を外さないように跡をつけていったのだが、草地に入ると慎重に辿っていたにもかかわらず見失ってしまった。
 それでもあちこち歩き回っているうちに、茂みの中に半ば放置されたバギーは見つけたのだが、肝心の滑走路はいくら歩き回っても見つからないのである。潅木類が茂って見通しの効かない中を至る所で増水した水路が遮断しているため、GPSの表示精度を上げて、Kirkから送ってもらったグーグル画像を見ながら見落としのないように水路も渡ってジグザグに歩いてみるのだが、見つからない。
 いくら小型のセスナとはいえ、飛行機が離発着する滑走路である。その滑走路が見つからないなどというワケがない。それにしても、何故遭遇しないのか・・・。本当にここがPick-upポイントなのか? 歩き回るほどに時間だけが過ぎて行く。日没(22時30分)までにはまだ十分時間があるとはいえ、もう四時になった・・・。
 確かに先ほど慎重にチェックし納得したのだが、蛇行回数からすると滑走路はひょっとして、やはり次の右カーブ地点ではないのか? という疑心暗鬼に駆られる。しかしGPSの数値を信じるなら、そして対岸でやや分かりづらいのだが、それらしき所が目印のコニス合流点であるとすると、やはりここで滑走路はもとよりキャンプ地も探さなくてはならない。
 しかし、水位はここに到着してからの間にも上昇し、その増水スピードの早さは、小さな中州に足の竦んだウサギを取り残してしまったほどだ。前夜のような60cmもの水位上昇を想定すると、安全にテントを張れそうな場所はどこにも見当たらない。そもそも、これまで安全な場所の指標にしていたビーバーやネズミなど小型哺乳類の巣穴が一つも見当たらないではないか。
 仮に、ここがPick-up 地点でないのなら、直ぐにでも船を出して下流側に安全なテント場を探すのが順当な判断であることは余りにも明白。ただ一度下ってしまうと、後で間違いに気付いてもこの場所に戻ってくることは、まず不可能だ。さあ、どうしたものか・・・。と、本当に困惑した。
 これで天候が悪く雪でも降っていようものなら気が滅入るところだが、この日は珍しく朝から長閑な晴天に恵まれ、午後の爽やかでやわらかな日差しが何とも心地良い。それなりに結構深刻な状況である筈なのに、何故か、のほほんと構えている。
 と、そのとき、かすかにエンジン音が。青空を見上げると、上流方向のかなり上空に一機のセスナが見えた。もはやここはセスナに尋ねることを躊躇している場合ではない。そこで、急ぎ船に戻り防水バッグからVHF無線機を引っぱり出して呼び掛けるも、一向に応答なし・・。ダメか・・と諦めかけたとき、そのセスナが徐々に高度を落としながら当方の回りを旋回し始めたではないか。
 どうやら気がついてくれたらしい。そしてその機が正面上空を通過した際に機体番号を読み取ると、何とそれはKirkが操縦するセスナそのものだった!! Pick-up予定日の3日も前であるにもかかわらず、一体何故どこから飛来したのか? それは兎も角、何というラッキーな巡り合わせ。そこで再度VHFで話し掛けるのだが、やはり全く返答はなし。どうも何らかのトラブルで繋がらないらしい。よりによって、こんな肝心な時に・・・。
 ただいずれにしてもKirkが低空で旋回し続けているということは、ここには滑走路がないということか? では、やはりPick-up地点は別のところか? そこで再び機が接近して来た時に、チャートケースを片手で持ち、『どこか分らない』というジェスチャーを送ってみた。
 すると、しばらく大回りをしていたと思った機が、今度は前照灯を点け、超低空で真っすぐこちらに向けて突っ込んで来た。明らかに何らかの意志を示しているみたいだ、と思った時、斜め頭上を通過した機体から物体が投下され、それはオレンジ色のテープをひらひらさせながらポトリと落ちてきた。急ぎ駆け寄って見るとそれはポリビンで、中には「Akira Stay where you are. I will come back to check on you. It will face a few days for the water to go down. Good luck. Kirk」のメモ。さらに、こちらが話しかけている内容は受信できているとのこと。そこで、今日の状況を説明した上で、アドバイスに従ってここに留まる旨伝えると、Kirkは翼を左右に振って飛び去って行った。
 正直、もう一つ状況が把握できない所も残るのだが、少なくとも、この場所に留まる事が正解である事だけは確かになった。改めてメモを見ると、それは操縦席備え付けの地図の裏に書かれていた。それを何度も読みかえした。いずれにしても、これほどの安心感はないほど本当にホッとした。人とのコンタクトをこれほど有り難いと思ったことも、初めての経験だった。それにしても、二週間振りの人とのコンタクトがKirkだったとは!
 そろそろテントを張らなくてはいけない。問題の滑走路については、Kirkが何度もなぞるように飛んでいた下流側奥の方を明日捜すとして、先ずは「Stay where you are」であるから、テント場を一か八かで選定した。そして、流木を集めて焚き火を熾し、取り敢えずは到着を祝ってアルファ米の赤飯をセットした頃になると、何と僅かながらではあるものの水位が低下し始めていたのである。そして水位は、翌日以降も順調に下がり続けた。何の事はない、結局一番水位が高く、厳しい時に下ってきたという訳だ。
 ところで、くだんの滑走路だが、あっけない程すぐ近くで発見できた。何とそれは船を左岸に着ける為に入り込んで息を継いだ分流そのものが、水が退いた時に滑走路であったと判明。もっとも滑走路と言っても、ただの河原である。そして、あの青テープを結んだ棒はと言えば、滑走路の端に立っていた。いくら「陸地」を歩き回っても滑走路が見つからなかった訳だ。
 それにしても、あの棒。よくぞ立っていてくれた。もしなければ、少なくともあのポイントは自信をもって通過していた。もっとも、左カーブ過ぎを少し下った所で明らかに水質の異なるコニス合流点には気付いた筈で、その時点では急ぎ船を岸に着けていたかもしれない。ただそこは直線区間の急流箇所。果たして、すんなりとうまくいったかどうか・・
 いずれにしても、ラッキーだった。
 そしてその後、Pick-upまでの中二日は、舟を分解して奇麗に洗って干したり、大水が滑走路に運んできた大きな石を退けたり、服の洗濯などの跡片付け。また抜けるような青空の元、それこそ日毎に進む紅葉に染まりながら果実酒用に木の実を摘んだりして、秋のシーンジェックを心行くまで、のんびり楽しんだ。

写真12
Goal地点にて。フルセットの我がリンクス、良く下ってきてくれた。それにしても、まさか、この後ろの水路が滑走路だったとは。

 長年暖めてきたアラスカでの川下り、『川旅 シーンジェック』は、20年振りの増水という予想外の状況の元、エキサイティングでラッキー、そして印象深い川旅になった。天候は、途中で雪が降りしきる中を漕ぎ下る日もあるということで、決して毎日が晴天に恵まれはしなかったが、夏と冬とが同居し、初雪以降植物が日々一斉に紅(黄)葉し始めるという、一瞬の煌めきで秋が訪れる極北の大地を堪能した。
 また数多くの、そして好奇心旺盛な野生動物達との出会いは、決して忘れることのできない至福の時だった。私の回りを、ふわりふわりと軽やかに舞いながら遊んでいたオコジョ、朝夕になると決まって対岸の木の上からこちらの様子を見ていたカモメ、テント前の三日月湖にゆったりと浮かぶシロエリオオハムやコハクチョウ、テントを張るなり見物に来たホッキョクジリス、余りに巣穴近くにテントを張ったことに文句を言っていたビーバー等々。出発前には、これほど多くの野生動物達と間近に出会える川旅になるとは予想だにしなかった。
 ところで、極地にありながら、このように多様な生き物の生活が保証されてきた北極圏野生生物保護区(ANWR)であるが、ここにきて保護区域内の北極海沿岸部で発見された油田採掘が始まろうとしている。この地域は、ANWRからカナダにかけた一帯を大群で広く回遊するカリブーの出産エリアと重複しているため、その悪影響も懸念されている。
 極地の生態系とは、その構造が単純であるが故に極めて脆弱である。つまり一つの関係性が途切れると、それをバックアップできない場合も多いが故に影響は思わぬところにも及ぶ可能性が高い。つまり、広大な地域を回遊するカリブーの再生産への影響は、懸念されている温暖化の影響に加えて、そのまま地域一帯の生態系に変化を及ぼしかねない。しかしながらこの開発計画に対しては既に法案が通り、後は様々な策略を弄しての予算案が通るかどうか、という段階まで進んでしまった。
 本当に、せめて北極圏野生生物保護区ぐらいは、そこに住む動物達が安心して今後も生きて行ける場所であってほしいと、心からそう願う。
 ところで帰国後、Kirkからのメールによると、ピックアップ日前からの晴天はその後も続き、絢爛たる紅葉のツンドラを流れる清流シーンジェックをセスナから見下ろすと、何と水中を遡るサーモンが見えるとのこと!!
 一体それは、どんな光景なのか・・・、ため息の出るような空想の彼方で、いつか、また、あのツンドラの香しさに包まれる日の来ることを想いながら、ここに報告とします。