厳冬期若江国境尾根南部縦走 

(2009年2月23日~26日)

                                    阪本公一

 

 2002年から始めた京都・滋賀・福井の積雪期低山薮山縦走は、今年で8回目。今回は、福井県と滋賀県の国境にあたる若江国境尾根南部の三国峠から若狭駒ヶ岳まで縦走しようとの計画だ。メンバーは、昨年と同様堀内潭さん(68歳)、岡部光彦さん(67歳)と私(68歳)の3名。昨年初めに計画をたてた。生杉から林道を地蔵峠にあがり、稜線通しに三国峠(775.9m)から延々と国境尾根を歩き、百里ヶ岳(931.3m)から駒ヶ岳(780.1m)まで縦走しようというもの。実働4日、予備2日、合計6日間の山行計画が出来上がった。

 本番ぶっつけでは道迷いによる時間のロスが懸念されるので、2008年5月21日と6月6日~7日の2回にわけて偵察山行をおこなった。三国峠から駒ヶ岳までの稜線は、高島市の高島トレイルとして随分と整備され、道標や黄色テープが要所につけられていた。百里ヶ岳近辺は、昔からこの山域に精力的な登山活動をおこなってきた小浜山の会の方々の努力により、40~50年前にはもの凄いヤブ山だったのが信じられない程に、立派な道が作られて見事に変身していた。 私達も偵察時に、支尾根に間違って入りこみそうな要点箇所に赤色の絹テープの目印をつけてきた。

 70歳近いオジンの私達に、20kg前後の荷物を担いでワカンでラッセルして歩ける体力が残っているだろうかとの不安を持ちながら、メンバーそれぞれが自主的トレーニングに励み本番にそなえた。2月23日は天気も悪くその後数日は好天が望めそうにもないとの天気予報だったが、丸5日分の食糧を持って最終下山日を28日午後9時とする予定通りの計画で2月23日早朝に京都を出発した。

 

2月23日(月):曇りときどき小雨・濃霧。 「猟犬ポチとの忘れられぬ出会い」

 JR京都駅/6:59発 安曇川駅/7:53着。びわこ汽船タクシーにて朽木学校前へ(\4,620.-)。
 高島市営バス 朽木学校前/8:35発 生杉/9:30着(\220.-)。
 生杉/9:40  -  林道トイレ/11:32  -  地蔵峠/12:40  -  三国峠直下の幕営地/15:00。

 今年は2月に入ってから雨の日が多く、例年に較べて生杉の積雪量も非常に少なく約50cmぐらいしかなかった。生杉村内は除雪はしてあるが、最奥の民家より奥は林道は50~60cmの積雪があり、私達はワカンを履いた。地蔵峠への林道はスキーやワカンで歩いた後が残っており、雪の林道は殆どラッセルもなく非常に歩きやすかった。小型の柴犬のような可愛いらしい雌犬が我々の後をついてきた。地元の犬らしく、この近辺をよく知っているのか、私達を追い抜いて先へ先へと歩いては、ときどき立ち止まって私達を待ってくれる。私達が休憩をとると、この犬は私達のところまで戻ってきて、3人の顔を親しそうにじっとみつめる。林道の端の雪を掘ってみたり、突然林道脇の傾斜30~40度の雪壁を登ってみたりと、非常に元気な犬だ。一向に帰る気配がないので、私達はこの犬を「ポチ」と呼ぶことにした。我が家の愛犬「クリ」はビーグル種の雑種犬で耳がたれているが、耳のたった柴犬ポチの顔だちや優しい目もクリにそっくりだった。トイレの手前の休憩所の手前で、ポチは突然右手の雪壁を駆け上がって行った。標高40~50mの雪の崖を登って行った後、ポチは私達が休んでいる休憩所の四阿へかけ戻ってき。「この犬は一体なにをしているんだろう」と言う程度の事しか、その時の私達は考えていなかった。次のピッチで昼食を食べていると、ポチは私の顔をじっとみつめる。なにも食べ物をやらないでいると、堀内さんの方へ行き彼の顔をみつめる。堀内さんが駄目とわかると、次は岡部さんのところへ。「食べ物をやったら、この犬は帰らなくなるから、やったらあかんで・・・」と堀内さんの冷たい忠告。ポチは、吠える事もせず、寂しそうに3人の顔をじっと見つめていた。元来林道あるきは単調で面白くないものだが、今回はポチと一緒だったので楽しく歩くことが出来た。疲れもなく地蔵峠へ着いて、ポチと一緒に記念撮影を撮った。

 写真を撮り終わったと思ったら、ポチは脱兎のごとく駈けだした。三国岳への稜線の上からポチの「ワン・ワン」いう声が聞こえたかと思うと、牝鹿が地蔵峠の方へ駆け下りてきた。後からポチが牝鹿を追いかけている。牝鹿が地蔵峠から三国峠への急な雪壁を登ろうとしたが、後からきたポチが鹿の足に噛みつき、鹿は峠へ転がり落ちてきた。ポチは、次は牝鹿の喉もとに噛みついた。鹿の悲しい悲鳴。見るに見かねて、「ポチ、止めとけ」と私はストックを振り上げて、ポチを鹿から引き離した。一難を逃れた牝鹿は、長治谷の方へ駆け下りて逃げて行った。私が振り上げたストックをおさめると、その隙をみつけたポチは俊敏にも鹿を追って長治谷の方へもの凄いスピードで駆け下りて行った。140~150m下の方で、鹿の悲鳴。助けを求めるかのような牝鹿の苦しそうな悲鳴がつづく。

 私達はどうする事も出来ないので、地蔵峠からの三国峠へ向かう事にした。地蔵峠からの急な雪壁を堀内さんが頑張ってラッセル。その間、鹿の悲しそうな悲鳴がづっと続いた。10分ほどして、急な雪壁を登りきり小ピークの上に立つ頃には、鹿の悲鳴はなくなり、ポチの「ワン・ワン」という勝ちどきの吠え声がしだした。 ポチの「ワン・ワ ン」という呼び声は5分ほど続いたが、狩りとった獲物の牝鹿の側にいるポチのところへ私達が行こうとはしない事を知ったのか、ポチは吠える事をあきらめて静かになった。「折角、鹿をとったのに、あのオッチャン達は興味ないのか? 水くさい人達だ。」とポチは多分がっかりしていたことであろう。

 鹿を狩りとったポチに後髪をひかれる思いで、私達は濃霧の中の樹林の尾根を三国峠へ向かった。ゴウゴウと樹林がうなるような強風が吹き出した。幾つかの小さなピークを越え、我々は三国峠の頂上直下の風のあたらない窪地に幕営した。その夜は、私達を追ってポチがやって来るのではと、期待するような気持ちで過ごしたが、ポチは来なかった。

雪の生杉
地蔵峠への林道でポチに出会う
地蔵峠への林道
地蔵峠でポチと記念撮影
地蔵峠から三国峠への尾根
濃霧の樹林帯を三国峠めざして
濃霧の中を三国峠ヘ
三国峠直下の幕営地
 

2月24日(火): 曇り後雨。10時頃より強風。 「小雨と強風の憂鬱な1日」

 起床/5:00  -  三国峠直下幕営地/7:15  -  三国峠/7:25  -  クチクボ峠/7:45  -  P677(挙原との分岐点)/8:15  -  P709/9:00  -  P809との分岐点/9:46  -  P809との分岐点/9:46  - P659/10:50  -  おにゅう峠手前の樹林の中で幕営/13:05。

 朝方の3時頃より強い風が吹き出し、ゴウゴウと音を立てていた。幸いと私達の幕営地は前の三国峠のピークと他の三方も尾根に囲まれた窪地だったので、全く強風の影響は受けなかった。7時15分にテントを撤収し、急な雪面を登って10分ほどで三国峠(775.9m)に登頂。 雪の三国峠山頂は、2005年2月の由良川分水嶺縦走、2006年2月の第1回若丹国境尾根縦走の時についで、これで3度目だ。三国峠頂上直下は、若丹国境尾根と若江国境尾根の分岐点にあたる。京都府、滋賀県、福井県の県境の分岐点から北にのびる若江国境尾根が今回の私達の縦走目標だ。広い気持ちよい樹林帯の尾根を30分ほど歩くと、お地蔵さんのあるクチクボ峠に着いた。2005年2月と2006年2月には、クチクボ峠ヘは東側の若走路谷をつめて上がってきたが、途中の雪の滑滝をロープで確保しながらワカンをつけて登ったことを思い出す。

 先日来の雨で雪はしまっていて、殆どラッセルもなく歩きやすい。一部氷結した箇所もでてくるので、昨年同様に6本爪アイゼンとワカンの両方を着装した。稜線の南面や風の強い箇所は雪が融けて氷結した地肌がでているところがでてくるが、ワカン・アイゼンだとスリップの心配もなく安心して歩ける。クチクボ峠からは、P709, P659と小さなピークの上り下りがつづく。膝くらいの深雪のラッセルだと苦労するところだが、今日は雪がしまっていて実に快適に歩ける。P709を越えるあたりから、霧雨が降り出した。P659の手前あたりの10時半頃から、強風が吹き出す。P659を越えると、両側が切れ落ちたナイフ・リッジの稜線がでてくる。偵察時にこの狭い稜線部分を見ていたので、安全のためにナイロン・ロープ 8mm x 20mを持参してきた。空身だとなんなく通過出来るところだが、20kg近い重荷を担いでの年寄りには、安全確保が大切だとためらうことなくロープを出して立木にフィックスして通過した。

 風はだんだんと強くなり、霧雨と濃霧で気象条件は最悪の状態になってきた。風はますます強くなり、まるで台風のような強い風。樹木の少ない吹きさらしの稜線箇所では、強風に吹き飛ばされそうになり、2本のストックをしっかりついて風で倒されないように耐風姿勢をとることもしばしば。この日の予定は、おにゅう峠を越えた先に幕営するつもりだったが、この天候では無理はしたくない。本当にラッキーなことに、稜線が広くなった箇所に大きな数本の杉にかこまれた風のあたらない絶好の幕営地を見いだした。時間はまだ13時5分だが、ためらうことなくテントを設営することにした。テントを張ってから後に、更に強い雨足となり、風もゴウゴウと吹き荒れていたが、私達のこの幕営地は強風の影響も受けずにまるで天国だった。暖かいテントの中で持参したアルコールで宴会。出鱈目な年金管理に怒ったり、漢字もまともに読めない政治家にあきれかえったり、粉末アルコール開発のことから、新薬開発のことなどへと話題はつきず、永い午後の「何でもいって委員会」は延々とつづき、私の個人用500cc入りウイスキー・ボトルは空になってしまった。

三国峠頂上
三国峠よりクチクボ峠への広い尾根
P659を越えると両側が切れたヤセ尾根が出てくる

2月25日(水):雨。 「雨の雪山はいやだ」

 起床/6:00  -  幕営地/10:48  -  おにゅう峠/11:15  -  根来坂峠/12:21  -  小入谷越の百里新道と根来坂峠からの若江国境尾根の分岐点/13:30。

 昨日來の雨は、朝方になっても一向に止まず。5時に起床するつもりであったが、暫く待機することにした。取り合えず6時に起きて朝食だけをすませることにした。テルモスに紅茶をつめって、朝食が終わったのは7時半頃だったが、雨は相変わらず降り続いていた。今の状態では直ぐにずぶ濡れになりそうなので、暫く天気待ちをすることにした。

 昨日は本来おにゅう峠まで足を延ばす予定だったので、スケジュール的に遅れているので、出来れば今日は少しでも先へ歩いておきたい。10時前になって雨が少し小降りになってきたので、少しでも先へ進んで百里ヶ岳の手前あたりまででも行っておきたいと、テントを撤収して10時48分に出発。おにゅう峠には30分ほどで到着。林道が滋賀県側から福井県側へとつながった峠。お地蔵さんと「おにゅう峠」と書かれた大きな石碑が峠にある。濃いガスで、滋賀県側も福井県側も景色は見えない。林道を5分ほど、小入谷の方へおりると左手に稜線へ上がる登山道。稜線に上がり、又樹林の中をワカン・アイゼンで歩く。1時間ほどで、お地蔵さんの入った小さな祠のある昔の鯖街道の根来坂峠に着いた。

 何の変哲もない樹林の尾根を小雨にそぼ濡れながら、寂しく歩く。百里ヶ岳の頂上は日本海からの風がまともにあたるので、風のないところにテントを張りたい。小入谷越から来る百里新道と根来坂峠からの若江国境尾根の分岐点が、ちょうど杉林が暴風林となっていて快適そうなので、時間は1時半と早いが、無理をせずにこの分岐点で幕営することにした。もし、明日の26日も明後日の27日も天気が悪ければ、百里新道経由で小入谷越から生杉に下山してバスで帰るエスケープ案も最悪の手段として考慮した。少し残っていた岡部さん持参の焼酎150ccでお湯割りして、最後のアルコールを楽しんだ。携帯電話での地域天気予報では、私達のいる木地山近辺の天気は、明日は曇空から太陽が出始め午後は晴れとの予報。明後日27日は、午後から崩れ雪模様になるとのこと。なんとか明日の晴天をつかんで、駒ヶ岳あたりまで足をのばしておきたいと願い、英気を養っておこうと7時前に就寝した。

おにゅう峠の林道
根来坂のお地蔵さん
根来坂・小入谷越分岐点の幕営地

2月26日(木)曇り後晴れ、風殆どなし。 「奇跡的な好天・縦走成功」

 起床/4:45  -  幕営地出発/7:05  -  百里ヶ岳(931.3m)/7:50 -  P711/8:45  -  木地山峠/9:15   -  桜谷山/(824.5m) /10:12   -  P765/11:08  -  与助谷山(753.8m)/11:40  -  駒ヶ岳(780.1m) /13:20  -  明神谷道との分岐点/15:05  -  P744/15:25  -  足立口/16/40。
 高島市営バス 足立口/16:42発  朽木学校前/17:08着。 (\220.-)
 江若バス 朽木学校前/17:44発 安曇川駅前/18:12着。(\750.-)
 JR 安曇川駅/18:34発   京都駅/19:32着

  10時間の睡眠で元気回復。テントを撤収する頃には、朝陽がチラリとこぼれてきた。百里ヶ岳へ登りは急坂だが、雪はクラストしておりワカン・アイゼンでラッセルもなく歩きやすい。1時間足らずで百里ヶ岳の頂上に到着。小浜山の会が担ぎ上げた大きな「百里ヶ岳」の看板が、頂上にでんと据え付けられている。百里ヶ岳の東尾根は、もう20年以上前に2度山スキーで登下降したことがある懐かしい尾根だ。今日はガスもなく、日本海まで見渡せて爽快だ。百里ヶ岳から若江国境尾根を少し北に歩むと、見事な樹氷が見られた。昔、百里ヶ岳から木地山峠まではもの凄いブッシュで、無雪期に歩くのに苦労したが、今は小浜山の会や高島トレイルのボランテイアの方達のお陰で、随分と整備されて歩きやすくなり薮山の印象は薄れた。桜谷山は、頂上でソフト・ボールでも出来そうな広い台地状の気持ちの良いところだ。桜谷山(825m)からP765の小さな山を越えると稜線の尾根筋は広くなり、のびのびした明るい雑木林となり、与助谷山(769m)のピークに到る。このころから太陽がでて快晴の天気となってきた。与助谷山を越えると綺麗な山毛欅林が広がり、素晴らしい景観。新緑の頃の山毛欅林も魅力的だが、雪の山毛欅林も素晴らしく捨てがたい自然の景観だ。与助谷山から気持ちの良い雪の斜面を登り、少し左手へ曲がると、山毛欅林が切れて明るい空き地となった駒ヶ岳頂上だ。昨日までの悪天つづきでは、とうてい今日中に駒ヶ岳には到達出来ないとあきらめていただけに、喜びもひとしお。足立口からの最終バス(16:42発)には間に合わないかも知れないが、明日は午後から雪模様になるとの天気予報なので、出来るだけ降りておこうと早々に駒ヶ岳の山頂から下山の途に着いた。

 駒ヶ岳の頂上付近から明神谷道分岐点までは、3~4人の踏み跡がついていた。明神谷道分岐点を過ぎて暫くすると、男性が一人後から追いかけてきて、「明神谷道への下山道は降りられますか?」と声をかけられた。「明神谷への道標がでていますし、地図からでもそちらの方におりる道があるようですが、雪の時に安全に降りれるかどうか知りません」と回答した。どうも福井側から登ってきた人らしく、登りと違う明神谷へ下山しようとして、急な雪面をおりられずに戻ってきた模様だ。「雪の時には、登ってきたところを下山するのが一番安全ですよ」と声をかけて私達は足立口の方へ歩を進めた。P744を少し降りると林道に出合う。林道を少し降りて行くと、雪が融けて地肌があらわれている箇所も出てきたので、ワカンのみをはずして6本爪アイゼンで歩いた。多分最終バスには間に合わないだろうと、足立口手前の小川の近くで幕営しようと考え、途中一度休憩してのんびりと歩いた。なんとなんと、足立口のバス停には、午後4時40分に到着。アイゼンをはずして荷物を整理し終わったところに、高島市営バスが到着して朽木学校前行のバスに乗車することが出来た。この市営バスも、運賃は\220.-と驚くほど安かった。朽木で江若バスへの待ち時間は30分。荷物を共同装備の荷物を整理して17時44分のバスで安曇川駅へ(\750.-)。

百里ヶ岳頂上
百里ヶ岳頂上からの東尾根
百里ヶ岳北の見事な樹氷
広くて気持ちのよい桜谷山頂上
真ん中右の山が目指す駒ヶ岳
百里ヶ岳を振り返る
与助谷山手前
駒ヶ岳手前の山毛欅林
駒ヶ岳頂上
駒ヶ岳近辺の山毛欅林
駒ヶ岳を振り返る
遙か遠くの百里ヶ岳

 2月26日の奇跡的な好天に助けられ、9時間35分の行動で待望の駒ヶ岳にも登頂して、最終下山地点の足立口に下山することが出来た。しかも、最終バスにもこれまた奇跡的に間に合い、今回の若江国境尾根南部縦走を予定どおり見事に無事完結することができた。

 低山薮山の積雪期縦走で一番つらい雨天を乗り越えて、煉りにねったこの縦走計画を無事完了出来た充実感は実に大きい。衣類から寝袋までずぶ濡れになりながら、辛抱強くおつき合い願った二人の素晴らしい山仲間のお陰だと心より感謝している。又、たった一匹の単独で牝鹿を狩りとった素晴らしい猟犬ポチとの出会いも、私達の生涯忘れられない思い出となろう。