白神山地天狗岳東面山行の報告

荻野和彦

 天狗岳は白神山地の北より、核心地域と緩衝地域の境にある。標高957.6メートルであるから、高山というわけではない。しかし東には赤石川が、西には追良瀬川があるため、アクセスが難しい。積雪期に天狗岳を目指すとなると慎重な取り組みが必要だ。

 積雪期に赤石川を越えて天狗岳を目指す計画を思いついたのは2年前のことだった。なんどか暗門川、高倉森、赤石川、ノズの沢、天狗峠、追良瀬川などの山歩きを重ねて、今年2011年3月に天狗岳東面のノズの沢の右岸の尾根をルートにする計画を実施することにしていたところ、東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模もたいへん大規模だったが、惹き起された大津波、さらには福島第一の原発事故と生涯経験することはないような惨事に直面した。天狗岳計画はいったんお預けにしなければならなかった。 

 4月になってすこし落ち着きを取り戻したので、天狗岳東面計画に挑戦することにした。同行するはずだった高鍬博医師が、震災支援で動けなくなった。しかたなくひとりでいくことになった。13日から18日までかかった第一次計画と5月2日から6日の第二次計画がそれである。はじめからふたつの計画をしていたわけではない。第一次計画でうまくいかなかったから、第二次計画に着手したというだけのことである。第一次計画が不発に終わった理由は、予定していたルート(図-1)のノズの沢が渉れなかった(写真-1)のである。ここは昨2010年9月25日にマダギの吉川隆さん、弘前の根深誠さん、神戸の丸尾信さん、京都の西邨顕達さんらと歩いている。このときは左岸の尾根を上り、右岸の尾根を下った。ノズの沢は足首を浸すほどの水量だった。あわよくばこの沢は雪で埋まっているのではないかという期待を抱いてきた。本格的な融雪季を迎え、沢はみごとに変身していた。水量は増し、水勢は勢いがあった。沢の両岸を覆う雪の壁は50センチに喃々としていた。ノズの沢はたしかに牙をむいていた。出直すことにした。

図-1
写真-1

 斜面の雪は大小の塊となって崩落したり、斜面に載った雪全体が滑り落ちていく。積雪層の表面に近いところはすけすけになって、支持力がなくなっている。時々足許が崩れるように深みにはまり込む。背負った荷物だけが斜面を下に向かって落ちていきそうになる。確かに雪の斜面は蠢動していた。白神山地が見せた獰猛な一面である。

 第二次計画のことを弘前の清野宏さんに話したら、暗門大橋まで車が通るようになったから送ってやると、ありがたいお申し出だった。しかし融雪は進み、川の増水はいっそうはげしく、水勢は勢いを増していた。迷わずノズの沢の左岸の尾根にルートをとった。マダギは尾根の上を忠実に歩く。左右に振れることは少ない。尾根を上り始めてしばらくして、ふと気配を感じて目を上げると、左脇を真っ黒なかたまりがどっどっどっと駆け抜けていく。なんと、熊だ。「ウオーッ、ウオーッ、ウオーッ」と三声叫びかけた。駆け抜けたはずのかれは10メートルとは離れないところで立ち止まって、こちらを振り向いているではないか(写真-2)。木の蔭になっているので、撮りなおそうとそっと近づこうとしたとき、かれはゆっくり尾根の下に向かって歩み去っていった。根深さんが「熊にあうかも知れないよ」といったとおりのことが起こった。

 ブナの花が咲き始めている。去年の穀斗も雪面にみかけるが数は多くはない。今年はどうやら去年よりは多くの木が実をつけるだろう。雪の消えたところにフキノトウがでている。イワウチワ、ハクサンイチゲ、カタクリ(写真-3)なども花をつけている。天狗峠から天狗岳に連なる800メートル前後の尾根を仮に天狗尾根と呼んでおくが、ここは既に雪が消えて夏道が出ているところから、未だに3メートル以上の積雪を被ったところまでみられる。雪の消え方に応じて、春の進み方もさまざまである。

写真-2
写真-3

 天狗岳へいった5月4日は朝早く、晴れ間が見えていて、白神岳、向白神岳などの眺望を期待させた。が、山頂に立ったとき(写真-4)は1000メートル付近まで雲が下りてきて、生憎だった。残念だったけれど、2年間の計画にようやく終止符を打てると思った。テントを撤収して天狗峠を経て、白神ラインをたどった。終点の岩崎ゲートで鹿内善三さんの出迎えをうけるまでに、もう2泊する必要があった。

 山を下るほど春酣となっている。テント場は水、フキノトウそしてできれば乾いたベッドを探すことにしよう。天狗尾根に泊った日を除いて、前二者の条件を満たすことは難しいことではなかった。熱効率がよいといわれるジェットボイルを使ったおかげで、ガスの消費量は少なく、133グラム(第一次)と175グラム(第二次)で済んだ。第一次計画では雨のための停滞一日を含めて5泊6日、第二次計画も5泊6日の行程だった。食糧は行動食を含めて、16食と予備1食(第一次)、19食と予備1食(第二次)を準備した。米、野菜、肉類はすべて乾燥食品化して軽量化を図った。

 第一次計画の4月16日、朝からぽつぽつ雨模様だった。4月10日の週間(アンサンブル)予想図によると16,17の二日間は悪天と読み取れる(図-2)。二日間停滞するか雨天を衝いて出発するか迷ったが、トリやケモノは動かないことを思い、支度した荷物をまた解くことにした。昼過ぎにラジオの気象情報が翌日の晴天を伝えた。予想図が違っていたらしい。低気圧の悪天は一日で終わり、続く高気圧の晴天は二日間つづいたのだ。5月2日、第二次入山の日青森県は暴風警報が発令されていると清野さんにいわれたが、大崩れすることはなく、午後には晴れ間を見せるようになった。今回のような5泊程度の山行の場合、出発の直前に週間予報支援図を手に入れておくと山中では気象情報に注意していればよい。気象通報によって一所懸命天気図を描いたのはむかし話になった。

写真-4
図-2

 山中のひとり旅は問題だというひとがいる。「年寄りの癖に」といったひともあった。「単独行だけはやめろ」といったひともいる。もちろん気をつけないといけないことが多いのは確かだ。山歩きを山岳マラソンや山岳スキー競技のような捉えかたをしているひと達にはいっそうそうかもしれない。が、クマやカモシカ、サルたちと緊張感をともなった交流、季節の移り行きを感じるのにひとり旅に勝るものはない。

 周知のように白神山地の一部は世界遺産に登録されている。世界遺産をかりた不可解な規制には賛成できないけれど、ここを暮らしの場にしてきたマダギを始め、さまざまな人々の息吹を感じることができるほんとの白神山地には強く惹かれるものがある。