知られざるザンスカールの未踏峰

Temasa 谷・Gompe谷・Haptal谷の未踏峰探検

( 2012年6月27日~8月2日)

 

2012年京都ザンスカール遠征隊

阪 本 公 一

 

 インド・ヒマラヤの北西にあるザンスカールには、未だに知られていない隠れた未踏峰が数多く残っている。

 グレート・ヒマラヤの最北西の山ナンガパルバットから南東に連なる山脈は、インド領内に入りNun (7135m), Kun (7077m)から、南のDarchaまで6000m台の山々が連なる。

 この山脈グレート・ヒマラヤの西側はKishtwal山群とよばれ、アプローチが割と便利なので、1970年代初めより数多くの欧米人遠征隊に登られ始め、主な6000m台の山は殆ど登られてしまっている。一方、東側のザンスカール側は、山へのアプローチが不便な為か、これまで余り登山隊が入っていない。Pensi Laの南にあるDarung Drung氷河までは、日本、イタリア等の遠征隊も何隊か入り、ドーダ峰、Z3峰等々が既に初登頂がされており、この氷河の周辺にある山々の存在も沖允人さん達によってほぼ解明されてきた。

 しかし、Darug Drung氷河より南のザンスカール山域の支谷は、殆ど登山者や探検隊が入っておらず、どのような未踏峰の山々があるのか、未だに詳しいことは殆ど知られていない状態がつづいていた。

 私達は2009年夏にReru 谷の探査を行い、2011年にその南のLenak 谷・Giabul谷の未踏峰探査を行ったので、今回はReru 谷の北にあるTemasa谷とPadamの西にあるGompe谷の山域に興味をもった。デリーのIMF (Indian Mountaineering Foundation )に、Temasa谷及びGompe谷の山々に登りに行った遠征隊はないか、又既に初登頂した記録は残っていないかと問い合わせたところ、いまのところ同山域における記録は全くないとの回答だったので、2012年夏にはこの山塊に未踏峰探査に出かける計画をたてた。

 これまでは8月に入ってからザンスカールに出かけていたが、今回は花が咲き乱れる時期に是非行ってみたいと6月末に日本を出発する事にした。

 今年の遠征隊のメンバーは、常連の岡部光彦氏(元京都山岳会、70歳)と初参加の芝田正樹氏(AACK、66歳)、勝又俊博氏(静岡愛峰山の会、64歳)と、そして隊長の私阪本公一(AACK、72歳)の4名。

 現地エージェントは昨年同様、Hidden Hiamlayaに依頼した。ガイドは同社の社長のMr. Tsewang Yangphel。馬方2名、キッチン・スタッフ3名が同行。

 

1. ザンスカールへのアプローチ:

    6月27日の早朝(深夜)のタイ航空で阪本が先発。今年4月からタイ航空は1ヶ月  以上有効の航空券を大幅値上げしたので、他の3名は航空運賃が安く且つ23kg x 2個の荷物を無料で運べる中華航空の昼便にて出発した。

 阪本のみデリーに一泊し、6月28日早朝にデリー空港に集合して、5時40分発の国内便9W-2245で4名そろってLehへ入った。Lehに2泊し、28日午後は高所順応を兼ねて旧王宮とTsemo Gompaを訪問したり、遠征中に使用するキャンデイー等の買い物に出かけた。

 6月29日は、ラダック最大のヘミス系ドウクパの総本山Hemis Gompa の有名なTsechu (お祭り)に出かけた。随分多くの観光客や地元の人々で祭りは賑わっていた。次から次へと演じられる仮面舞踏のお祭りを堪能。帰路ラダックを代表する勇壮なゲルクパの  Tikse Gompaを見学。

 6月30日: 7時半にランドクルザーでLehを出発。途中、リキル系ゲルクパの総本山であるLikir Gompaに参拝。このお寺の座主はダライラマ14世の実弟。ゴンパの横に金色の高さ20m位の大仏が鎮座する。そのあと、壁画で有名なArchi Gompaヘ。カシミール調の特徴ある壁画で有名で、門前には多くの売店が軒を連ねているが、Gompa 自身は、こじんまりとした小さなお寺。

 Archi Gompaのあとは、車で枝谷の奥へ入ったとこにある多層構造のRizong Gompaヘ。Gompaの裾には修業する小さな小僧さんの学校があり、子供達の元気な声が聞こえて来る。15時30分に、Lamayuru Gompaの下にあるHotel Fotolaと言う小さなホテルに投宿した。

 

 7月1日: 早朝7時半にLamayuru Gompaへ参拝。周りに黄色い岩肌の砂岩上に建てられたLamayuru Gompaの偉容は印象的だ。9時にMulbeckの磨崖仏をみて、正午過ぎにKargil着。行き交う軍隊のトラックの数の多さに驚かされる。Lehの登録車では、タクシー組合の協定で、ザンスカールへ入れないとの理由で、Kargilのレンターカー社の車に乗り換える。

 Kargil郊外には、広大な軍隊の駐屯所があり、パキスタンとの国境紛争に神経を使っているインド軍の姿勢が伺われる。小雨がパラつく中を、16時にPurtickchey のTourist Bungalowに到着。

 

   7月2日:  Purtickcheyから、Suru 河の奥に、朝日に輝くヌン峰(7135m), クン峰(7077m)は素晴らしい景色だ。7時に宿泊地を出発。Suru 河が直角に曲がって東に向かうParkachikあたりから、昨年同様に道路工事がつづいている。9時にShaft氷河の出合いに到着し、左岸に北大ワンダーフォーゲル部OB会が初登頂したZ1の堂々とした山容を望む。初登頂時には徒渉に苦労されたらしいが、現在は立派な橋がSuru河にかかっている。11時10分にPangdom Army Check Postでパスポートを提示しチェックを受ける。Pensi Glacier の奥に聳える双耳峰のP5920が印象的だった。12時半にPensi Laで、Z3を眺めながら昼食の弁当を食べる。Padamまでの距離は結構あり、Padamの街中にあるChamling Kailash Hotel & Restaurant についたのは16時だった。

 

 7月3日: 9時にPadamのホテルをチャーター車で出発し、Zangla へ。Thondeの近くから、Gompe Tokpo周辺の知られざる山々の全体像の写真を撮る。Thondeから更に1時間ほど車で走ると、満開のピンク色のWild Himalayan Roseの向こうに、尼寺のZangla Chomo Gompaが丘の上に建っている。最近出家したらしい13歳の少女の断髪が行われていた。その後、帰路Thonde Gompaに参拝。この寺院から見下ろすPadamの景色は何度眺めても美しい。13時半にPadamのホテルに戻り昼食。

 

  7月4日: Padamで一番大きなKarsha Gompaに参拝。その後、Hongchet村にあるガイドのツワン君の実家を訪問し、1年ぶりにお母さんのチリン・ドルマさんにお会いし旧交を温めた。ホテルで昼食後、12時に出発して、今回の探査行の出発地点であるBardan Gompa School に12時45分到着。学校の生徒達に、日本からお土産を持ってきたが、なぜかこの日は学校は休みであった。たまたまやってきた二人のBardan Gompaの若い僧侶に、生徒達にお土産を渡してくれるように依頼した。

 明日からいよいよ、Temasa谷の踏査が始まる。午後は、ゆっくりと洗濯をしたりして休養。夕方、馬方2名も10頭の馬を連れて合流し、遠征隊全員がそろったので、遠征隊出発に際してのmeetingを持った。

 

(注)

 Temasa Nala(谷), Gompe Tokpo (谷)を取り巻く山域の山々は、すべて無名峰ばかり。同一標高の山もあり混同する恐れがあるので、Reru谷や、Lenak・Giabul 谷と同様に、私達の認識の為に「T1, T2,T3 ・・・」等の仮称をつけることにした。

 又、時間の余裕ができたので、追って急遽探査することにしたHaptal谷の山々にも「H1,  H2,H3 ・・・」の仮称をつけることにした。

 更に、Temasa Nala の奥にあるTidu Glacierの北支流は、Tsewang Tokpoと仮称をつけることにした。

 

2.Temasa 谷探査:

 Temasa Nala は、Miyar Nala へ越えるKang La、およびTidu GlacierからPoat La越えてKishtwarへ通じるトレッキング・ルートとして利用されている割と有名な谷であるが、 その周辺の山々についてはあまり詳しく探査されていない。 Himalayan Clubの友人のSatyabratadamさんが、Miyar NalaからKang Laを越え、Poat La経由でKishtwar を踏査された時に、P6294(T4)とP5995(T6)の写真をAmerican Alpine Journal 2008 に発表されたが、その後もこの両山に初登頂したという記録を、私はみていない(IMFからも登頂記録なしとの報告)。

 

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 7月5日(木): 曇り

 6:55/Bardan Gompa 幕営地(3635m) - 8:20/高巻道の峠 - 12:40/Korlomshe Tokpo手前の草原(3945m)。

 今日からいよいよTemasa 谷の探査が始まる。Temasa Nalaの左岸の小山を越えてTemasa谷へ入る巻き道をとる事にした。Bardan Gompa Schoolの裏にあるなだらかな緑の小山を登る。小さな小山を2つ越えると、Temasa谷本流が望まれる。 Temas谷は、幅300m程の広く開けた明るい谷で、激流の流れる谷の両側はゆったりとした台地になっていて、ヤクの放牧には最適。名も知らない美しい花々や、ピンク色のWild Himalayan Roseが咲き乱れ、青いケシの花が群落になって咲いている箇所も出てきた。ガイドのツワン君によると黄色い小さな花は、Hichuと言い根が甘いと言う。右手にP6028(T12)が手に取るように望まれる。P6028(T12)から流れ落ちるきれいな谷水のあるキャンプ地に適した平らな台地があったが、更に歩を進め、Korlomshe Tokpo手前の緑の草地に幕営する事にした。 

P6071 (R1) East Face, photographed from Bardan Gompa School.

 7月6日(金): 快晴

 7:00/CS (3945m) - 8:05/Kromshe Tokpo 出合 - 11:50/Kanjur (Chhuralpachan Nala の出合)  ー 12:30/Kangla Glacier との出合出前(4200m)。

 今日は見事に晴れ上がった大快晴。左手にP6071(R1)の北壁、右手にP6028(T12)を眺めながら、楽しく歩む。遙か遠くのTidu GlacierにあるP6294(T4)が端正な姿をして顔をだしている。Google Earth 3D画像だと真っ白な山に映っていたが、実物は岩と雪混じりの格好良い魅力的な山だ。ヤクがのんびりと草をはんでいる。Chhuralpachan Nalaの右岸の大障壁が望まれるKanjurより少し上流に、清い湧き水の流れる小川があり、緑の放牧場のような台地に幕営することにした。

P6071 (R1) North Face, photographed from Temasa Nala
P6294 (T4) =center, and P5995 (T6) = right

 7月7日(土): 晴れ後曇り。

 7:30/CS (4200m) - 9:15/Kangla Glacier出合 - 10:30/Tidu Glacier 舌端 - 14:10/Tsewang Tokpo 出合付近 - 18:00./CS (4200m)。

 日帰りで、Tidu Glacierの探査に出かけた。すぐ近くに見えていたが、Tidu Glacierの舌端まで3時間もかかった。氷河の舌端からモレーンのほぼ中央を登る。結構クレバスもあり、モレーンの上を迷路を歩くように進むのに、結構時間を要した。 Tsewang Tokpoは、急傾斜の滝の多い谷となってTidu Glacierに落ち込んでいる。当初、Tsewang Tokpoに入って、二股の5000m近辺までテントをあげて、P6022(T7)とP6107(T9)を探査する計画であったが、Tsewang Tokpoの両側も傾斜のきついガラガラ石の堆積した斜面であり、とても重荷を背負った馬での荷揚げは不可能と判断した。出合い付近からも、両山の姿を見ることは出来ない。左手の右岸には、岩と雪の秀麗なP6294(T4)とその後ろにP5995(T6)が見える。 Google Earth 3D画像では、P6294(T4)は全く違った。雲が出始め、Tidu Glacierの山々はみるみる隠れてしまった。浮き石の多いモレーンの下山は、意外と時間がかかり、幕営地に帰りついたのは18時であった。

P6294 (T4) and P5995 (T6) in Tidu Glacier of Temasa Nala

 7月8日(日): 曇ったり晴れたり。休養日

 勝又氏が少し顔にむくみあり。芝田氏も下痢気味で起床時の体温が37.7度と、少し疲れが出てきたようだ。昨日はかなりハードな1日だったので、今日は休養日にすることにし、汚れた衣料の洗濯にみんな忙しかった。幕営地から、 Chhuralpachan Nalaの右岸に圧倒的は大障壁が望まれる。どの山なのかなかなか同定ができなかったが、P5947(R2)からP6036(R3)につづく主稜線上にあり、Temasa NalaからP5947(R2)に突き上げる氷河の左岸奥にあるJunction Peakであることが、後日判明した。地図上に高度表示がないが、5800~5900m前後の山ではないかと推測される。

 午後、ガイドのツワン君と馬方に, Kangla Glacierへ偵察に行って貰った。氷河の始まる4500m近辺に、清い水場がある幕営候補地があるとの報告。4500mのABCから5468mのKang Laまでの日帰り往復は、私達年寄りにはかなり厳しいので、Kangla Glacierにテントをわざわざ上げるのは止めることにし、4200m現在の幕営地から日帰りで登れるとこまで行くことに予定を変更した。

 

 7月9日(月): 快晴

 8:00/CS (4200m)- 9:30/Kangla Glacier出合 - Kangla Glacier対岸の山4300m - 12:30/CS (4200m)。

 勝又氏体調芳しくなく、起床時の体温が38.6度なので、今日は休息日として、阪本、岡部、芝田の3名で軽いハイキングにでかけることにした。Kangla Glacierの対岸の山に登り、Kangla Glacierを眺めた。Kangla Glacierは奥の深い、長大な氷河であることを再認識した。

 

 7月10日(火): 曇り後快晴

 5:00/CS (4200m) - 6:00/Kangla Glacier 出合 - 馬で徒渉 -  8:05/Kangla Glacier 4530m - 10:45/Kangla Glacier 5000m - 12:40/Temasa Nala 馬で徒渉 - 15:40/CS (4200m)。

 勝又氏の咳と痰がひどく、もう一日休養したいとの意向。阪本、岡部、芝田とガイドのツワン君の4人でKangla Glacierに出かけることにした。馬方にも同行願い、Kangla

Glacierの出合いの流れのやや緩やかなところで、馬に乗せて貰って、順次徒渉。足の速い岡部・芝田が先行することとし、阪本・ツワンはビスタリ・ペースで歩く。

 帰りは、午後2時にKangla Glacier出合いに集合し、馬方に徒渉をさせて貰う事にした。Kangla Glacierには、ヤク道もついており、又時たま通るトレッカーが積んだのか、要所にケルンが積まれていた。8時過ぎに昨日ツワン君が偵察したというCS候補地の4500mに到着。このあたりから, 対岸のP5957(T10)とTsewang Tokpoの奥P6107(T9)が望まれた。右手にP5935(T3)の美しい山容が目に飛びこんでくる。4800m位から、氷河の上を黙々と登る。P5935(T3)が目の前に見える氷河の台地(約5000m)から、眺めるKangla Glacierは、広くて奥が深い。足の遅い私は、5000mのところで引き返すことにして、のんびりと下山する。右岸のP5935(T2)の写真も撮った積もりであったが、仲間との同定がうまくいかず、この山を確認することが出来なかったのは残念であった。Kangla Glacierから降りるときに見たP6028(T12)は、なかなか迫力のある山であった。

 早朝に徒渉した箇所は氷河が溶けて流れがきつくなり危険なので、上流のTidu Glacier の舌端に近いところで馬に乗って徒渉。午後2時前には、岡部・芝田両氏も下山してきて、全員一緒に午後15時40分にテント地に戻った。幕営地から眺める夕陽に輝く Chhuralpachan右岸の大障壁は、実に印象的であった。何時の日か、この無名の大障壁を登りに来るクライマーが出てくるであろうか?

P5935 (T3) in Kangla Glacier
Top of Kangla Glacier
P6107 (T9) and P5957 (T10) photographed from Kangla Glacier

 7月11日(水): 快晴後曇り

 7:50/CS (4200m) - 9:40/Nyusri Yogma - 11:00/Korlomshe Tokpo 出合(4020m)。 

 勝又さんは相変わらず咳と痰がひどいが、行動可能とのことなので、Korlomshe Tokpoの出合まで移動することにした。Chuuralpachan Nalaの左岸奥にP5935(T2)らしき山が見えるが、確実な同定はどうしても出来ず。Korlomshe Tokpoの奥にP6028(T12)の岩峰が聳えている。

Junction rock peak, P6036 (R3) and P6080 (R4) in Chuuralpachan Nala
Junction Big Rock Peak in Chuurapachan Nala

 7月12日(木): 曇り

 7:05/CS(4020m) - 8:20/Korlomshe Tokpo 4195m - 11:00/Korlomshe Tokpo 4525m。

 Korlomshe Tokpoの支谷が北につきあげた稜線上にP6028(T12)の岩峰が聳える。この 支谷から登路になるだろうか等と話ながら登る。

 Korlomshe Tokpoの登り口は結構傾斜がきついので、3日分の食料のみを持って上がり、個人装備の余分な荷物は出合に張ったダイニング・テントに残して行くことにした。ところが馬方はKorlomshe Tokpoのヤク道は大きな石がゴロゴロ転がっていて、馬が足を怪我する恐れが強いと、勝手に4500mの地点で荷物を下ろしてしまっていた。4500mの地点にベースを張ったのでは、翌日谷の奥にあるP6436(T13)の下までは行けないゆえ、もっと上部まで荷物を運べと指示したが馬方は動かず。結局、今年も馬方の身勝手な行動で私達の計画が狂わされてしまった。「馬が怪我をして使い物にならなくなったら、5万ルピーの補償をしてくれるのか?」と言いたい放題主張して、キッチン・ボーイのソナムを連れて、その馬方は出合いの幕営地へ降りて行った。

 岡部氏が彼の山仲間と来夏にP6436(T13)を登りに来ることを検討しているが、4500mのBCでは低すぎるので、出来れば4800mまで荷揚げをしたい。それが出来る馬方を探して使う積もりだと、後日述べたら、是非私に行かせてくれと言い出す始末。駆け引きの強い、したたかな馬方だ。

P6028 (T12) from Korlomshe Tokpo

 7月13日(金): 快晴、曇りのち小雨。

 6:10/CS (4525 m) - 9:00/P5908(T11)のピークから降りる尾根末端(4925m) - 10:10/5005m  -  13:45/CS (4525m)。

 朝方に降った激しい雨が嘘のように止んで、快晴となった。4500mの幕営地からの登りは、傾斜はきついものの、馬方が主張したような歩きにくい場所ではなかった。

 Korlomshe Tokpo が北に方向を変える曲がり角に、余り特徴のない山P5908(T11)がある。対岸の右岸には、岩尾根がつづいており、ちょうどP5908(T11)と対座するように、曲がり角にP5957(T10)の岩峰が凛々しく聳えている。小さな氷河湖がいくつかあり、4800m近辺にキャンプ地として適した広い台地が3ヶ所あり。このあたりから、広い氷河となり、傾斜も緩やかになる。快晴だった天気が、急に曇りだし、みるみる氷河上を覆い出した。氷河が北に曲がる地点に行かないと、6436(T13)は見えない。足の早い岡部・芝田の2名がもう少し先まで偵察に行くことにし、勝又・阪本はガイドのツワン君と5005mの地点で引き返すことにした。

 岡部・芝田の2名は、約5100mまで登り、ガスの合間をぬって何とかP6436(T13)の全容を撮影する写真を1枚だけとる事が出来た。どっしりした岩壁の難しそうな山である。

P5957 (T10) in Korlomshe Nala photographed by Mr. Okabe
P5908 (T11) in Korlomshe Tokpo
P6436 (T13) in Korlomshe Tokpo phtographed by Mr. Okabe

 7月14日(土): 曇り

 8:20/CS (4525m) -  11:40/Kromshe Tokpo 出合CS (4020m)。

 のんびりと、咲き乱れる花々を眺めながら谷をおりる。途中、ブルー・ポピーの群生する場所あり。

 

 7月15日(日): 曇り

 7:45/CS (4020m) -  13:30/Bardam Gompa School (3635m)。

 残念ながら、今日は日曜日で学校は休み。先生にも生徒達にも再会出来ず、残念至極。午後、Bardan Gompaに参拝。黒いチベット犬の番犬が、デンと本堂前に腰を据えていた。

 

 7月16日(月): 晴れ

 7:30/Bardam Gompa School - 車で移動 - 8:20/Padam。

 車でPadamに戻り、Karsha Gompaの経営するChamling Kailash Hotel & Restaurantに投宿。咳の止まらない勝又氏をPadamの診療所で診察して貰うことにする。10時にオープンの筈なのに医者がなかなか来ず、診察が始まるまでに1時間近く待たされた。勝又氏の咳は、風邪をこじらせただでで心配なく、時間がたてば自然と治るとの医師の診断で、明日からの山歩きも問題ないとの意見。診察代と2種類の薬代が合計2ルピー(約3円)だったのには驚きであった。ガイドのツワン君の説明によると、ザンスカールにおけるインド政府の特別な政策により、他地域にはない特別優遇医療制度のお陰の由。

 

3.Gompe谷探査:

 7月17日(火): 快晴

 7:00/Padamのホテル - 8:00/Gompe Tokpo出合 -  9:00/Ubarak Village -  15:30/Gompe Tokpo 4510m。

 今日からGompe 谷の探査に入る。3日分の食料と必要な個人装備のみを馬に運ばせ不用な物は、Ubarak村のコックの家に預けて出かけることにした。Ubarak村は、花の咲き乱れる桃源郷のような雰囲気の村だ。村の上の台地から、緑の草地のなだらかな山を、ヤク道をたどりながら、Gompe Tokpoの方へトラバース。ケルンが建っており,そこからGompe Tokpoへの急な斜面を下る。我々隊員は、大きな崩壊石の積み重なった斜面をトラバースして、斜め上に登った。馬たちは、いったん谷に降りてから、谷沿いに登って来ることになった。

 Padamの街から見える一番右手の土石流の流れた跡のルンゼを登るのだが、結構傾斜もあり、しんどい登りだ。もう登り切ったかと思うと又つぎの小山があり、午後3時半にようやく登り切った台地に到着し幕営した。Gompe 谷の内院はAmphitheaterになっており素晴らしい景色。奥の方の左手に見える双耳峰の大岩峰が、P6431(T16)のようだ。テント場のすぐ後ろに、清楚なブル・ポピーが静かに咲いていた。

 7月18日(水): 快晴

 7:00/CS (4510m) - 7:55/大きなケルンのある峠 - 9:07/Gompe Tokpo 4720m - 12:10/Gompe Tokpo 4920m - 17:15/CS (4510m)。

 幕営地からモレーンの小山を歩く。ヤクの放牧に来る村人が立てたと思われるケルンを積んだ峠を越えると、谷は大きく広がり、目を見張るような山々が姿をみせた。

 P5763mの右手にある双耳峰の大岩峰はP6431(T16)、氷河の突き当たりの稜線上に槍ヶ岳のような形で聳えるのがP6184(T18)であろう。右手の見えるずんぐりした山がP6162(T19)。P6157(T20)は、我々のすぐ右側にあるはずだが、側壁で全く頂上は見えない。P5763の更に左手にT15と思われる5900m位の立派な岩峰が聳える。

 Padamから簡単に眺められるGompe Tokpoのこんな素晴らしい山塊に, なぜこれまで、登山者が興味を持たなかったのだろうか? Gompe Tokpoの内院に入って、こんなに魅力的な山塊を探査出来た私達の幸運に感謝しながら、あきることなく素晴らしい景色を堪能する。下りものんびりと山々を眺めながら、幕営地に戻った。

 

Unknown peaks in Gompe Tokpo photographed near Thonde Gompa
P6157 (T20) photographed from Padam
Veiled virgin peaks in Gompe Tokpo
P6431 (T16) in Gompe Tokpo
T15 = left, P6431(T16) = right in Gompe Tokpo

 7月19日(木): 晴れ

 7:45/CS (4510m) - 9:32/Ubarak 村へのコル - 12:10/Ubarak村(3800m)。

 キッチン・スタッフが、Ubarak村へ越えられる近道を見つけたと言うので、幕営地からトラバース気味に左手の稜線めがけて登る。大きな石の重なった急傾斜のトラバースは、石の間に落ち込みそうで歩きにくい。2時間足らずかかって、 Ubarak 村へ越えるコルに到着。ネパールからやってきたと言う羊を放牧している男に出合う。Ubarak村の台地にある、花の咲き乱れる草地に幕営した。

 

4.Hapatal 谷探査:

 7月20日(金): 快晴

 7:15/Ubarak CS (3800m) - 9:55/Haptal Tokpo 出合 - 12:30/Haptal Tokpo 3655m。

 Temasa NalaでTsewang Tokpoに入れず、又Kangla Glacierにも日数を使わなかったので当初の予定より日程に余裕ができたので、Gompe Tokpoの北にあるHaptal Tokpoへ探査に行くことにした。出来ればGompe Tokpoの山々を西側からな眺めるために、Chhogo Tokpoに入ってみようと考えた。

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  Ubarakから、近郊のいくつかの小さな村の放牧地を横切り、Haptal Tokpoの激流にかけられた橋を渡り、Kargilから来るアスファルト道へ出た。Haptal Tokpoも広い谷で、両岸に大きな台地がつづいている。Haptal Tokpoの水を利用した小さな水力発電所の建物が右手の台地の上に見える。この水力発電所へ流す水路がひかれている。途中に、大きな運動場みたいな空き地があり、立派な避難小屋ができていた。Haptal Tokpoは、Umasi Laを越えてKishtwarへ入る地元の人たちの交易道として、又トレッキング・トレイルとして利用されているからとのガイドの説明だが、いったい年間何人くらいがUmasi La越えをするのかは疑問? 避難小屋から少し上流の用水路の取り入れ口のすぐ上の台地に、ヤク小屋の石組みがたくさんあり、湧き水も流れているので、この台地で幕営することにした。上流のChhogo Tokpoの出合付近に、 P5845(H17)のどっしりした岩峰が腰を据えている。

P5845 (H17) in Chhogo Tokpo of Haptal Tokpo

 7月21日(土): 快晴

 7:20/CS (3655m) - 8:10/Haptal Tokpo 3650m - 9:15/Tepuk Bhu -  12:20/Satachan Tokpo      との出合(3850m)。

 Hapatal Tokpoの激流は、たとえ馬でも安全に徒渉は困難と判断されたので、Chhong Tokpoに入って、Gompe Tokpoの山々を西側から観察することは断念し、Haptal Tokpoをさらに遡行することにした。Chhong Tokpoとの出合いのTepuk Bhu を過ぎると、両岸はRock Pinnacle の多い山がつづく。ドロミテの岩山に似た感じの山が多い。Haptal Tokpoの奥の二股に(Haptal GlacierとYurachuku Glacierの出合)にP5740(H14)とP5840(H15)が望まれる。少し時間が早かったが、Satachan Tokpono 出合に幕営することにした。

P5740 (H14) = right, P5860 (H15) = left in Hapatal Tokpo

 7月22日(日): 快晴

 6:20/CS (3850m) - 8:05/Haptal Tokpo二股 - 8:55/Haptal Glacier 滝の上 - 12:20/Haptal Tokpo 4500m近辺 - 13:06/Hapoatal Tokpo 二股 - 14:50/CS (3850m)。

 隊員4名とツワン君の5名で出発する。Yurachuk Glacierの舌端は、二股の出合い近くまでおりてきており、おまけに急傾斜の氷瀑となってせり上がっていて、クレバスが 縦横無尽に走っており、とても安全に歩ける状態ではない。おまけに、Haptal Tokpo左岸から対岸のYurachku Glacierへ徒渉するのは激流過ぎてとても危険である。

 Hapatal Glacierを探査する事にし、 左岸の滝を避けて高巻きして台地に出る。このあたりにもヤクの糞と踏み跡がつづいている。谷が左に曲がるつきあたりP5775(H13)の岩峰が聳えている。この右手の支谷の奥にP6042(H3)があるはずだが、手前の尾根が邪魔をして見えない。Hapatal Glacierが西に方向を変えると、その奥にP5878(H21)とP5730(H20)が見える。 P5730(H20)の左手に真っ白な雪山が見えるが、地図上には、氷河の中の突起としてしか記載されておらず山の標高は明示していない。多分5800~5900mの山ではなかろうか?

 Yurachuk Glacierを振り返ると、同谷の右岸に白い雪をつけた美しいP5840(H16)が望まれた。岩山ばかり見ていると、白い山を見ると何となく落ち着いたほっとした気分になるのは不思議だ。二股には今朝見なかったヤクが十数頭登ってきて、草をはんでいた。

P5840 (H16) in Yurachku Glacier of Haptal Tokpo
P5775 (H13) in Haptal Glacier
P5878 (H21) and P5730 (H20) in Haptal Glacier

 7月23日(月): 曇り

 6:45/CS (3850m) - Satachan Tokpo - 9:35/CS (3850m)。

 今日はSatachan Tokpoを登ってみることにした。出合いからすぐ上に滝がかかっており、さらに少し上流がゴルジュになっていて滝がありそうなことがGoogle Earth 3D 画像で予想されたが、出来ればSatachan TokpoにあるP6085(H2), P6042(H3), P5945(H9)が見られたらと期待して出かけた。阪本は出合い上の滝のところで、体調芳しくなく引き返したが、他の3人の隊員は滝の左手を高巻きして登っていった。しかし、やはり、その上のゴルジュ帯を越えられず、断念して下山してきた。Haptal Tokpoには、岩登りが好きなクライマーにとってワクワクするような、岩壁や岩峰が軒をつらねている。

Pinnacle rocks in Haptal Tokpo
Rock mountains in Hapatal Tokpo

 7月24日(火): 曇り

 7:35/CS(3850m) - 11:30/用水路上のヤク小屋CS (3655m)。

 今日中にSani村へ下山することも可能だが、手前のヤク小屋のキャンプ場で、衣類を洗濯してのんびりして行く事にした。しかし、風が強く、もの凄い砂埃に悩まされた。

 

 7月25日(水): 曇りの晴れ

 7:35/CS (3655m) -  9:30/Sani村湖CS (3500m)。

 Sani村の湖の横の草地のテント場に幕営。Sani Gompaへ参拝。馬方達は、荷物をおろした後、自分たちの村へ帰って行った。その夜は祭り太鼓の練習が夜中の2時頃までつづき、やかましくて眠れなかった。

 

5.ザンスカール遠征を終えて・・・:

 7月26日7時に車が迎えにきてくれて、Sani村を出発。26日はPurtcikcheyのTourist Bungalow、27日はLamayuruのMoon Land Hotelに泊まり、28日に久しぶりにLehに戻り、約1ヶ月の探査行は終わった。翌日29日はDaktok GompaのTsechu (お祭り)見物を楽しみ、その後Chemrey GompaとSpitok Gokpaに参拝。

 

 7月30日に8時半のフライトでDelhiに出て、午後にIMF( Indian Mountaineering )

Foundation)を訪問した。DirectorのMr. J P Bhagatjeeと面談。私達の未踏峰探査のお陰で、今夏も京大山岳部隊、日本山岳会学生部隊、スコットランド隊の3隊がザンスカールの未踏峰を登りに遠征にきてくれることに対し、感謝の言葉があった。

 同氏によると、最近未許可でインド・ヒマラヤを山したり、又登頂をしてもきちんとした登頂記録の報告をしてくれない遠征隊があって、IMFとして正確な登頂記録を残すことが難しくなって困っているとの実情説明があった。登山者自身のマナーが悪くなって来ているのは、実に嘆かわしいことである。

 

 2009年に私達が探査したReru谷の未踏峰を昨年2011年に登りに行ったImperial College Londonの遠征隊も、Reru 谷にはOpen Peak は全くないのに、Open Peakを登りに行くとの申請書を提出し、IMFを騙すようなやり方で登山許可をとり、おまけに自分たちが登った山も正直にIMFに報告していない始末。

 The American Alpine Journalに報告した私達のReru 谷の記録を読んで、Reru谷左股の未踏峰を登りに行ったスイス山岳会のジュネーブ支部も、自分たちが登った山を、自分たちが計測した標高と彼ら遠征隊がつけた山名だけを記載し、IMFが登山管理しているSurvey of India地図に基づいた標高で登頂報告をIMFに報告していない。そのためどの山が初登頂されたのか、全く不明のままになっている。アメリカやギリシャのクライマーから、どの山が登られたのか教えて欲しいと質問を受けた私が、スイス山岳会の遠征隊に何度も問い合わせるメールを入れても(コピーはIMF宛)、全く返事もしてこないと言う横着な遠征隊であった。これでは、IMFが頭を抱えるのも無理もない話。世界の登山者のマナーも落ちたものだ。

 

 今回の探査で、私達の目で確認し写真を撮ってきた山々は下記の通りである。IMFの登山記録ノートでは、登頂の記録は全くなく、未踏峰の筈であるとの回答だったが、違法登山で登られてしまっている懸念はなきにしもあらず。

P6071(R1) Non Open Peak   P5935(T3) Non Open Peak
P6294(T4) Open Peak P5995(T6) "
P6107(T9) " P5957(T10) "
P6028(T12) " P5908(T11) "
P6436(T13) " P5845(H17) "
P6431(T16) " P5740(H14) "
P6184(T18) " P5860(H15) "
P6162(T19) " P5840(H16) "
P6157(T20) " P5775(H13) "
P5878(H21) "
P5730(H20) "

 (注)

 2009年に104のOpen Peak List  が発表され、Open Peakとして明記された山に限り、IMF独自に登山許可をだすことが出来るようになり、申請後約2週間で許可がだされている。

 又、インド・ヒマラヤの登山には、X-mountaineering Visaを取得することが義務づけられているが、この104のOpen Peakに限り、Tourist Visaで登れる得点がある。

 尚、6000m以下のNon Open Peakの場合でも、登山許可を取得せねばならないことになっているが、未申請・未許可で違法登山をする遠征隊がかなりあるらしい。

                                                                          

 勝又氏が咳と痰でだいぶしんどい思いをされたが、大きな事故もなく、無事遠征を終えることが出来て嬉しく思っている。Temasa谷、Gompe 谷、そしてHaptal谷で20座の未踏峰を確認することが出来、期待以上の成果を上げることが出来たのも、隊員全員の協力と、Hidden Himalayaの親身なサポートのお陰と感謝している次第。

                                                     

以上