第4回 岡山の山を登る会  (Oct.28〜29,2000)

高村デルファが企画し、AACK、笹ヶ峰会の有志とその夫人による岡山県北部にある那岐山の日帰り登山から始まったこの会は、第2回から、初日は1000m前後の山、温泉に宿泊し、2日目は1000mを越える少し高い山に登る、というパターンが定着した。

第4回となる今年は、10月28日、29日、ぶな林の紅葉の時期を迎えた蒜山高原にある仏ケ仙(744m)、上蒜山(1202m)登山を行った。回を重ねるごとに参加者が増え、今回は17名が参加した。前から参加していた広瀬、平井、寺本、酒井、高村、新井、新井夫人、潮崎、川嶋、川アに加え、新たに京都から左右田、谷、上尾、大津から原田、神戸から松井、米子から薮内、広島から内山が加わり、卒業以来初めて顔を合わす人も多く、初対面のように、改めて挨拶をするシーンも見うけられた。

初日の28日、集合場所の蒜山高原SAは小雨が降りしきっていた。雨中の登山はまだ致し方ないとしても、雨中の昼食は頂けない、不安がよぎる。ただ、登山口のある八束村のピンポイント天気予報は、15時まで曇りだったので、その予報に期待した。7台の車を連ねて、八束村にある快湯館駐車場に着き、登山準備をしていると、雨はだんだん小降りになり、やがて上がった。ピンポイント予報は正しかった。

4台の車に分乗して、仏ケ仙(744m)の登山口に向かう。この山は以前高村等が今西錦司先生健在なりし頃、一緒に登った山である。12時45分出発、1ピッチで13時15分には頂上に着いた。 この山頂は高度はないが、1等三角点、中央分水嶺、県境の三冠王である。今西先生が登山対象に選んだだけのことはある。南側、西側は樹木に遮られて展望はきかないが、北側は広く開けていて、鳥取平野のかなたに日本海が霞んでいた。まず今西先生を偲びながら、全員でヤッホーを斉唱する。そのあとはドイツ語も飛び交うにぎやかな昼食となり、14時30分下山した。

旅館に入るには早すぎたので、中蒜山の塩釜冷泉を見学後、4時30分湯原温泉にある国民宿舎「桃李荘」に着いた。夕食後、部屋に帰り酒を酌み交わしているとき、寺本ショーチャンが現役時代に歌っていた、ペルケオのドイツ語歌詞の疑問点を提起した。碩学達からいろいろの意見が百出したが、結局、先輩達から受け継いだドイツ語歌詞は意味不明、いいかげんなドイツ語歌詞であるという結論に落ち着いた。

 

仏ケ仙頂上(744m)にて

     

29日、2日目も朝起きると小雨がしとしとと降っていた。とにかく登山口まで行って様子を見ようと、8時30分「桃李荘」を出発し、9時30分上蒜山登山口に着いた。この日も幸運の女神がわれわれに味方し、その頃雨は殆ど上がっていた。

喜び勇んで直ちに出発したが、雨でぬかるんだ道は歩きにくい。しかも3合目までは直登に近い急な階段である。息を切らせながら滑りやすい階段を登る。小休止するたびに、チョコレートやお菓子が誰からとなく回され、まるで立食パーテイーのような雰囲気で、誰かが出発をうながさなければ、何時間でも駄弁っているのではないか、と思われるほどであった。

11時10分8合目槍ケ峰到着、天候が良ければ蒜山高原が一望できて、すばらしい眺望を楽しめるのだが、周囲は一面にガスがかかっていて何も見えない。上蒜山頂上は17名が昼食するには狭いので、ザックを8合目に置き頂上を目指す。11時40分1202mの頂上到着。記念撮影の後、早々に頂上を後にした。

8合目まで下りてきたとき丁度12時で、正午を告げる鐘やサイレンの音がガスの中を蒜山高原から湧き上がってきた。例によってにぎやかな昼食をしているうちに、ガスが少しずつ切れてきて、中蒜山の山容、谷間のぶな林の紅葉が見渡せるようになっていた。12時45分下山をはじめたが、予想どおり、ぬかるんだ登山道は滑りやすく、滑って尻餅をつくシーンが何度も見られた。 

13時50分全員無事下山。しかし、靴やスパッツは泥だらけだ。登山口に筧があり、おまけに藁束が置いてあって、泥だらけの靴を洗えたのはありがたかった。15時、海湯館駐車場に着き、蒜山高原ウオークの観光バス2台も入っていて大混雑の快湯館で汗を流し、16時頃順次帰途についた。

10月28日、29日の2日間、一度も太陽が顔を見せたことはなく、天候には恵まれなかったが、幸運にも、登山中雨に降られることなく、予定どおり今年の「岡山の山を登る会」を行うことができた。それにもまして、卒業以来初めて会うという初参加の人も多くいたため、数十年のタイムトンネルを抜けて、学生時代に帰ったような楽しさを味わった山行であった。

                                           川ア 徹 記